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「性交をしていると段々自分の身体がサカナになってゆくような気がする 光が届かない深い奥底は 暗く冷たく でもそれがとても気持ち良くて もっともっと泳いでいたくなる 息継ぎは接吻 わたしはサカナになるから 息継ぎをしなくても呼吸が出来るはずなのだけど まだ今は駄目 鱗もはえていないし ひとり満足に泳ぐことも出来ない そうあなた無しでは」
聞こえますか わたしの潮が満ちて そのなかであなたが熱くなった櫂を漕いでいる音が 聞こえますか まだ人間の形を憶えているわたしの口から吐き出される言葉が 聞こえますか ふたりのまわりに押し寄せてくる漣の音が 聞こえますか
聞こえますか
生殖を目的としない性交の罪深さを母親は淡々と話し わたしは何度か鞭で打たれたあと鍵のついた納屋のなかへ押し込められた 眼を閉じればサカナになったあのひとが砂浜に放った精液の白さだけが正しく残され あとはすべて波にのまれ打ち流されてゆく 腐敗した肉体はやがて骨になり いつかは砕かれて砂になるだろう その日はしかし あまりにも遠く 愛は永遠の彼方で息も出来ない
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山際の村の夕暮れは早くて 寂しい そのぶん朝が早いというわけでもないのに 通り雨で濡れた甍の波が 波というよりは鱗のように煌めいている ところどころに梅が咲いている 真っ直ぐに枝を伸ばしているのが好きだ 去年の柿は畑の隅で鈴なりのまま褪せてゆく 干して吊るすのをもう誰もしなくなって久しい
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快速電車に乗ると 既に三人組の少年がボックス席に座り 菓子パンとコーラを食べながら楽しそうに話をしている おそらくまだ中学校の卒業式を終えたばかりの年頃だろう わたしは彼らと同じボックス席の通路側に座った ひとりが窓側へ詰めて座ってくれたからだ
恐らく彼らは朝一番の列車で かなり東の方から来たのだろう 言葉のイントネーションが標準語のようでいて微妙に違う それはわたしにとって 好ましい発音だった 声変わりというのが何歳頃 の間にあるのか知らないが 彼らはまだ明らかにとても若かった 若く見えるのではなく 話し方や振舞いもほんとうに若かった 三人組のうち ひとりは窓から見える景色すべてを口にして説明しなければ気が済まないのか 延々としゃべり続け 二人はそれに相槌を打ったり 景色ではなく自分の家族の話なんかをしていた 学校やガールフレンドの話は誰もしなかった 本当にいなかったからかもしれないけれど なんとなく三人組の旅行中においては自然なことだと感じられた
水色の切符を握りしめた彼らが 恐らくそれほどお金も持たず 春休みに三人だけで旅を楽しんでいるのは実に素晴らしいことだ 旅というよりもそれは冒険なのだと思う 彼らの冒険が佳き想い出になり いつの日か鮮やかに蘇らんことを!