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まだK市に彼のアパルトマンがあった最後の初夏 群青色のドイツ車 薄荷煙草とワインの夜 名前を忘れてしまった映画とローストビーフ
激しい行為のあとで 彼はわたしをベッドに縄で縛りつけたまま眠ってしまった 無茶苦茶だった ふたりともお互いのことをこれっぽっちも愛していなくて ただ貪るように肉欲に溺れ なにも残らなかった 朝 わたしはひとのかたちをした獣の性器を愛撫しながら ふいに死んだ恋人のことを思い出し 我に返った瞬間 自分自身もまた獣であることに気づいた
わたしは呪った 鏡に映った自らを 色が似合わない口紅を 腕に残った縄目と痣を 痛みを 肉体的 精神的 あらゆる痛みを呪った 男の性器を 煙草臭い唇を 肥った腹を 傲慢な話し方を 呪った 呪わずにはいられなかった 孤独になった理由を もう決して若くもないのに いつまでも繰り返す過ちのことを 喪失を肉で埋める以外の方法を知らないことを そしてまたひとつの関係が破綻してゆくことを呪い 大いに失望したのだった
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音楽は苦手だけど好きだ 大きな声で歌えば褒められるころまでは良かったけど 楽譜が読めなくて 覚えるのも出来なくなってから てんで駄目になった 三角比の定理や 物質の熱量について結局理解することはなかったみたいに 16ビートが何か未だにわかっていない でも好きなリズムというのがあって 聴くととても気持ち良くなれる 身体を揺らしながら 眼を閉じ 溢れる音の海で溺れるという快楽 自分で演奏出来たらもっといいのかもしれないけど ミラーボールが回るフロアで両手をあげて踊るのが好き キスするくらい近くまで顔を近づけて 女の子同士で話すのは 内緒話をしてるみたいだけど とても大きな声で喋ってるからそうじゃない 「だいじょーぶ?」「ぜんぜんヘーキ」 汗だくになって笑う夜の速さはBPM180くらいなんだと思う きっと
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好きなひとの為ならどんな苦痛でも耐えられるということ 苦痛に耐える自分自身が好きということ 苦痛を味わうのが好きということ 被虐趣味の性癖は様々な要因があるけれど 自分以外のために苦痛を選ぶのは悲しいことだと思う 加虐する人たちが求めているのがなにか 見極めなければならない それは容易ではないことだ
ところでわたしはもう何も耐えられない 誰かの為に耐えることもしたくない そして誰かがわたしの為に耐えているとしたら それこそが一番耐え難いことなのだ 早く楽になりたい 口が裂けても言ってはならない暴言を吐いてしまう前に
まだ若いから なんでも出来るわ 健康だから 綺麗なのに 勿体無い 良い学校を出たのに 選ぶからいけないのよ 理想が高すぎる なにがしたいの それは無理よ 絶対に駄目
なにが出来るっていうの
わたしは自分自身のために腕を切る 鋭利な刃物が肌を切るのに痛くないはずがない 皮膚が裂けて 白い皮膚の間から滲みだした丸い血の雫が隣の雫と繋がって大きな楕円になり 涙のようにぽろぽろと落ち始める もうこれしか出来ない 腕についた何本 何十本もの白い線は古い傷 そこへ重なってゆく赤い線 もうほんとうに何をするのは良くて 何をしたら駄目なのかわからない わたしは わたしの愛するひとが幸いであることを祈ること以外にどうにも出来ないけれど せめて そうすることは出来て佳かったと思う