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伐り倒された梅の老木は倒れてなおも 真っ直ぐに伸びた枝を伸ばしていた まもなく重機で運ばれてゆくだろう かつてここらは住宅街のなかに残された最後の畑があり その端に大きな古い白梅の木が植えられていて 雪が降ると一面の銀世界がひろがり 葉を落とした木は水墨画のように佇んでいたものだった 雪が溶けぬかるんだ地面に明るい緑色が芽吹き始めるころ しなやかに伸びた黒い枝に 点々とちいさな白い蕾が膨らみはじめ なんどか氷雨が降り やがて満開になった まだ吐く息が目に見えても 雲雀の歌声が聞こえるようになるまで 然程かからないと感じられたものだ
雪が降る前に畑は埋め立てられ 家が建てられるという噂をきいた それは確かなことだった 雲雀はどこで歌うのだろう

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遠くに広がっている光の壁はマンションだった うんざりした顔が車窓に並んで映っている 期限つきの思い出作りは証拠を残してはいけないので レシートも お店のカードも シュレッダーにかけて食べてしまおう ぱりぱりぱり 骨が砕けてゆくわ 愛していてもいなくても 朝が来れば知らない顔になる 暗がりに浮かぶ疲れた人びとみたいに

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今年の冬は温かいらしいよ なんて噂に安心してたけどやっぱり寒いのは寒い 息を吸うと鼻の頭がつんと痛くなって 狐の襟巻きを巻いた首をすくめた イルミネーションが輝いてる夜の帰り道 どこからか聴こえてくるマライア・キャリーの歌声 今すぐ会いに行きたい恋人がいない お腹が空いて待ちきれずに開けたアドベントカレンダー 25粒のチョコレートを貪るようにくらえば胸焼けを起こすだろう プラスティックみたいに冷たい心を齧れば中から溢れ出すブランデー あぁ早く家に帰りたい 

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正しいとか間違いとか ぜんぶ虚言だとか 近頃では本人もわからなくなってきたらしい あなただけに教える真実を知りたくはないし 目に視えるものすべてが事実だとも思わない あなたの奥さんと友達になったのと妖しく笑う女を止めるだけの潔白さをもたない男が それでもどこかで捨てなければならないこと あるいは諦めなければならないこと 彼らのうち誰も知らないし 彼らもまたわたしを知らないのだけど

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白いニットのワンピースを毎年試着して結局買った試しがない というか今年も似合わなかった アラン模様がすてきなのだけど 少し大きすぎて柔道衣のようにも見えるし 長すぎる袖は実用性に欠けるので 良いところといえば値段だけだった 買わない理由が値段なら状況次第では買ってもいいけど 値段が理由で買いたくないと思う そういうのは結局大事に出来ない

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ろくでもない夢を見て 笑い飛ばすために話したら 予想通り笑ってもらえて良かった 今日もたくさん歩いた それでもまだ 足りなかった わたしたちには時間が足りない 空白を埋めるために話がしたい あるいは沈黙したい 空白のなかにいるとき わたしたちは同じ空間を共有することが出来るから とりとめもないことで笑いたい 彼女の笑顔がわたしの喜びだから

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ハニー 今日からあなたをそう呼ぶわ ぐるぐる回るメリーゴーランド あなたは振り向いて 何て言った?と聞いたので いいえ なんでもないのと答えた そうよ なんでもないの
似たような家が並ぶ住宅街を通り抜けて シェパードの話をした 北国ではみんな番犬に飼っていて 有刺鉄線を張り巡らせた塀のなかから吠えてくるのよ どんなに何もない広い土地にあるうちでも必ず割り当てられた土地が境界線で定められていて 有刺鉄線の囲いがあって 大抵の場合はそこでシェパードが走りまわっているの こんな雪のなかを 義務的に走り回っているんだから ハニー 鞄のポケットにあるウイスキーを出してくれないかしら 寒くてもう我慢できない…

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送り忘れたメールのことを明日に思い出せるだろうか もう送らないでもいいかもしれない 今更 どちらでもいい 忘れているだろう


朝 あなたのために祈ることを辞めてからも健やかな気持ちでいます 元より祈ること自体が病むもととなっていたので あなたのことを考える暇が無くなったというのは非常に健全であり 喜ばしい変化であるのです わたしが夜 ひとりで眠るには広すぎる寝床につくとき あなたは大人ふたりが横たわるには狭すぎるベッドで愛を語らうでしょうか 或いは疲れてすぐに寝てしまうのか そして わたしが通勤ラッシュの環状線で人の波に押されているとき あなたはまだ静かな台所でバゲットをカフェオレに浸しながら朝食を摂っていることでしょう そのテーブルのうえには山積みになった資料とラップトップ 花を飾るなんてことはきっとしない 水を替えるのは面倒なことだから
あなたはわたしを罵ることも 蔑むこともなく ついには恨むこともなかった わたしもまたあなたを罵ることも 蔑むことも または恨むことも出来なかった 水辺で手を繋ぎながら 話はまるで噛み合わなくて 言葉が話せてもなにもわかりあわなかった わたしは まるで別のようなあなたの存在を求めていたから 湖のふちがいくら震えても満ちることはありえないのだった

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ほんの少しだけ早く起きた 仕事を休んだ朝
日の出が遅くなったせいでまだ薄暗い庭に 枯れた花を埋めて 新聞をとり やかんで水を沸かして白湯を飲むと 鳥の鳴き声とどこかのうちの雨戸が開かれる音がした
買い物へ行き 昼は外で食べた それから病院へ行き夕方 編みかけのセーターをほどいた また段を間違えてしまったから もう3回目になるのでさすがに嫌になる