1457

心地よい湿り気 濡れた肌に咲く花 水面に浮いた桃色の花弁 懐かしい音楽 雑音 その名を知らない楽器 目を閉じて言葉を理解しようと試みる そんなことしても何にもならないとわかっているのに 繰り返してみる 聞こえた歌声の 音を 意味は知らないでいても

1455

きっと彼は来ない 砂埃と銃弾が舞う砂漠で虚しく倒れてしまったから 滲み出した重油が燃える海面で息絶えてしまったから 熱帯雨林の河川で鰐に襲われてしまったから 撃墜した戦闘機が砲弾ごと落ちてくる 鉄屑が雨霰と降ってくる 人が燃える 家が燃える 街が燃える 図書館も 学校も 公園も すべて瓦礫となって 彼とよく待ちあわせていた門も 街灯も もうどこにもない きっと彼は来ないし わたしもいけない もうだれもいない 

1454

まだ風がとても冷たいけれど 食料品コーナーには春の便り 小さいけれど丸々とした蛍烏賊と固い蕾の菜の花をひと束 籠に入れながらあの人のことを思い出して 春が来るまでに会おうねって話してたのに もうほとんど春じゃん なんて

20年前の今日は 朝から雪が降っていて とても寒かった 北国ではどの窓や軒にも大きな太い氷柱がぶら下がり 穀倉地帯にはゲレンデのように上質な粉雪が積もり続けた冬だ ジャトカは病院で ずっと付きっきりだった親族が目を離したほんの一瞬の隙をついて息を引き取った 春を待たずになぜ急いでひとり旅へ出たのか という句を詠んでくれた人がいたけれど それが誰だったのか はじめから知らない 春が来たとて元気になる見込みなどもうなかった 水仙のむせ返るような芳香 リノリウムの床を歩くぺったんぺったんという音 茶色く酸化した林檎 皮と骨ばかりに痩せたジャトカの手は それでもまだ温かだった 永遠に春が来ない病室で


私信:冬眠から目覚めたら連絡ください もう菜の花が美味しいころですよ

1453

この人と一緒ならなんだって平気 どんなにつらい日々が続いても耐えられる そう思っていた恋が終わってから もう何年も経って ようやく理解したのは 苦痛を耐えられることより 幸せにしてくれるひとを探したほうが健全であること どのみち苦痛はひとりで耐えねばならないのだから マイナスをマイナスのままかゼロにするより プラスにしたほうがいい(そのうえ不幸な身の上であるからといって優れた創作物が生み出せるとは限らないのだ 狂人でなくても狂った作品を創る者がいること然り)

1452

きりりと音が鳴るような冷えた青空と 水面の動きがわからないほど大きな広い河 そして果てしなく続く枯れた平野 電車に乗り街にある食糧品店へ赴き 購入した芋と玉葱を紙袋に抱き抱え わたしは当時一番好きだったひとの元へ帰った 今でもよく覚えている 幸せなひとときのひとつ
彼も 彼女も わたしは好きだった 性別のことを考えようともしない無意識のうちに 愛しく思っていた そのことをまだ 上手く伝えられない

1451

なにもしなくたって時は流れていくと 知らないことはないのだけど 夢のなかで彼女は ずっと昔のまま ふっくらしたすべすべの頬で笑っていた 今では極東の地で恋人と暮らしているとかいないとか 風の噂にきいているだけ
彼女の好きなアニメキャラクターの商品が並んでいると 未だに教えててあげなくちゃと思って でももう連絡先がわからなくて そもそももう好きじゃないかもしれないし なんて いや 多分好きだろう 青いロボットのこと

1450

暖かくなると聞いていたけれど とても寒かったと話すと こうして一雨ごとに春が近づくのよと女は微笑んだ 彼と最期に会ったのもこんな時期だった 霙まじりの日で 葬式は雪のなか執り行われた

f:id:mrcr:20190204190946j:plain

1449

曇天 白い雪が残る枯れた草木の平野が広がった線路沿い 黒い鳥が空を渡ってゆく 駅について降りたのは わたしと 年老いた男ひとりだけだった 狭いホームのうえに撒かれた塩化カルシウムの粒のうえを歩くと ざりざりと音がした 暖かい日だと聞いていたけれど 風はちゃんと冷たかったし ここいらの雪はまだ溶けずに残っている わたしが生まれた街 最果てのそのまた向こうにあるちいさな村 祖父はそこにの鐵工所に勤める労働者だった なにを作っていたのかは知らない 大人になってから 死んだ祖父は 昔 ここいらにあった鐵工所で働いていたと教えられたから その跡地に立つ錆びた「売地」の看板 やはり枯れた草が多い茂っている

何処へいくの と娘が問う わたしは 死へ向かっていると思う それはごく当たり前のことで 問題はどのようにその道を歩むか ということだ

1448

ショコラ 舌の上に乗せて 噛んで リキュールが溢れ出すボンボン  甘くて苦いタブレット カカオ豆の香りがすぅ と 鼻の中に広がる プラリネ ガナッシュ ジャンドゥーヤ 青い眼のショコラティエが立つ前のショーケースに並べられたひと粒ひと粒を ぜんぶ残らず食べてしまいたい なんてロマンティックなこと思ってても そこはアマゾネスの戦場