Fiktion

916

かみをさがすということ もうほとんど泥沼 かつてそこいらは墓地であった 丘があったかどうかは知らないが 地下に泉はあった わたしは蟻の巣のように張り巡らされた地下通路を縦横無尽に歩き回り 建屋と建屋を結ぶ長い架道橋を渡り かみをさがす 不毛なこと…

915

たとえば溜まったストレスをカラオケで発散するとか 年に一度友達と夢の国を訪れるとか 大好きなアイドルグループがいて ツアーで追いかけたり 新しいアルバムが出たら予約しに行ったりとか そういうことを 心から楽しめるというのが羨ましいし 可愛いものや…

914

同窓会に誘われないので たぶんもう死んだことになっている それがいいと思う 夏の休暇を無為に過ごしてしまったことを悔いることも出来ないほど 身体が重たいのは眠気のせい 泳げば疲れて楽にもなるだろうか あなたの退屈を少しはしのげていただろうか

913

眠っても眠っても足りない まとわりつく湿気のなかでわたしはとても疲れている 昼 黙祷をした iPhoneの時計よりサイレンは30秒遅れて鳴った 今までで一番涼しい日だった

909

酷い眩暈を感じて舞台のある講堂を抜け出し 外へ向かった 近道をしようと礼拝堂を通ろうとすると 神父さまたちが会話をしていたので諦めて長い廊下を歩き ようやく広場へ出ると雨が降っている 吐き気と悪寒 上演時間が迫っているというのに 逃げ出しても仕方…

908

嵐の尻尾から雨が降り続いている 橋が流れてしまったので 人々は渡し守に頼まねばならないのだが その舟も出すことが出来ない 泥水は水車小屋を押し流し 材木屋の木々を筏なしで下流の港町へとやり それでもまだ止まることを知らなかった 子供も大人も 誰も…

907

壊れた靴を履いて気取って歩く なんてことはない 壊れていることを忘れてしまえば いつもと同じように歩ける たぶん 新しいハイヒールが必要 もう別にレッドソールでなくて構わないし 品の良い黒い革製の 足に合うものが良い 何処までも歩いていけるような …

906

逢引をした夜に神さまはメールをくださるので わたしは決心が揺らいでしまう それでも 躊躇うことなく傷ついた身体を差し出すのだろうか 酷いやつらをまとめて縛って 今度こそ物置の奥へしまってやろうと思うのに なぜかしら とてもきれいで壊すことが出来な…

905

嵐が来る夜 ニルゲンドヴォには池が現れる それは暗闇のなかで静かに広がってゆく 失くしたはずのボタンが あぶくのように浮き上がってくる それは雪の日に母が着せてくれたウールのコートについた黒い木のボタン 公園で友達と掴み合いの喧嘩をしたとき 引き…

903

歯科医院へ行った べつに痛むところも 悪いところもなかった 2年前より歯茎の具合が良くなったと言われたが理由はわからない 2年前が酷すぎたのかもしれない 親不知は生えないままだった 欠損することもなかった 何年か前にもっと歯列を美しくしたいと訴える…

902

血と肉と引換に愛を切り売りするので 季節感がないことを許してほしい つまり何時迄も春であるということ 色を失った男の孤独を塗り潰すには百日紅が必要だ でもきっとわたしは山に行かない 海へ泳ぎに行きたいから

901

日に焼けた男の子が家出をして 72時間の自由を手に入れた 遅すぎた思春期と長すぎた反抗期のすえの短い夏休み 彼女が歳下の恋人と早い結婚をしたのが何月何日 何処の教会だったかなんてどうだっていいし 適齢期の夏 死に方以外に興味が無かった 蝉は地上に出…

899

キャッチャーになりたかった ライ麦畑であの子を抱き止めることが出来たらよかった ハンドバッグの底からひしゃげたチキンサンド コンビニの袋に入ったままで くすんだ黄色のハニー・マスタードソースがはみ出してる それはこの夏とても流行している少し長め…

898

書かれなかった言葉だけを集めたことする 見なかったことにした現実 聞かなかったことにした秘密 言わなかったことにした告白 愛さなかったことにして肉体を貪り喰らうのが正しい世界で 虚構は崇高な言葉として 人々の心を震わせ 涙を誘う美しい物語となる …

897

過ぎていった日々の匂いは 届いて一番にひらく新聞紙のインキ 洗剤と糠床が混じった井戸端 燕脂と白と黄色の小菊 水に浸かったその茎のぬめり 麦酒または日本酒 焦げた肉と玉蜀黍 藻が増え過ぎた金魚鉢 汗は最も身近であるのにあまり思い出さない

896

髪を切った 恐らく誰も気付かないだろう それでも維持することは容易ではないのだ 美しいまま保つということ 庭の植木と同じこと あのひとはわたしの髪を指ですくので 滑らかにしておかなければならない 別に絡まったっていいけど あのひとに撫ぜてもらいた…

895

あまりに広い空の青さから流れるようにして 泉に潜った灼熱の街で なにも失うものが無かった 誰に必要とされることもなく ただいたずらに 責任を必要としない自由のなかに生きていた あの心細さ 未来を描くことすら出来ない空腹 砂の城を築くには水が要る 燃…

894

海岸沿いを裸足で歩きたい 湖や川ではなく 潮風の吹きつける海でなくてはならない 対岸が見えない場所を求めている 陽が沈み 蒼さが世界を包み込む時間を過ごしたい 息を止めて 水のなかで眼を開けるように

893

緩やかに溶けていった氷砂糖のようにソリッドな夢は 三日月よりも鋭くて甘い 7月 望めばなんでも手に入る 夏の魔法をかけたから 禁じられた愛すらも まやかしのひとときならば オレンジ色の鞄を持って 街に出かけよう 薄荷のキャンディを舐めながらハイウェ…

892

穏やかな眼差しが獣の眼光を放つと 眩しさのあまりわたしは眼を閉じてしまう 柔らかな頬 滑らかな皮膚 そのしたで動く筋肉 あのひとはわたしの神さまと瓜二つで でも少しも似ていない アルカリと酸 北極と南極 砂糖と塩 そう本当に少しも似ていない 鋭い眼差…

889

夜 川辺の砂は湿り気を帯びて光る 橋のしたで わたしたちは罪を犯す 生温い風を感じながら どこへも行くこともないで

888

骨のように白い髪飾りを買った 鼈甲色と迷ったので 隣にいた男にどちらが好ましいか尋ねると 彼は迷わずに白を指差して 女の子には白いものを身につけて欲しいんだと照れ臭そうに答えた わたしは彼らが求めるように振る舞うことが好きなので 白い髪飾りを選…

887

誰も彼もが悪いひとばかりなので この茶番 すこしも面白くない 彼女が彼女のことを それほど好きじゃないひとしか愛せないのは どうしようもなく不幸なことではあるにせよ 誰からも愛されないよりも 幸福なことなのだろうか 神様はあなたが思うよりずっと 愛…

886

退屈しのぎだったはずの恋煩い あるいはもう 死に至る病 その白いブラウスはまだ汚れてはいないのではなく 漂白されただけ つまり汚れたら洗えばいいし 破れたら繕えばいい そんなに難しいことじゃない 元に戻すことなんて なにも出来やしないんだから

885

簡単に揺らいでしまうのではなく 強く愛しすぎてしまっただけで 彼女はわたしを魔性の女だというけれど なんてことはない 他人より執念深いだけだ抗うことを諦めて深淵に飲み込まれてゆくのか 痛みを忘れた肉体から 流れ出た血液にヘモグロビンが足りないこ…

884

早朝 エンジンの音で目が覚めたので カーテンを開けるとインターホンが鳴った 新聞配達人なら無言で立ち去るのだけれどと 窓を開けて階下を覗くと 青いコンバーチブルに乗った夏が来ていたので 手を振ってすぐに行くから と 慌てて階段を駆け下りて扉を開け…

883

かすかな濁り ひかりは揺らぎながら砂のうえを流れる ゆっくりと呼吸にあわせるように 腕を前後にかきながら 脚を折り畳んだり 伸ばしたりして水のなかで前へ進む運動を 幼いころから教えられていて いまでは滅多にやらなくなっても ひとたび脚を砂地から放…

882

炎天下のコンクリートジャングルで ひとの波に乗るのも 雨に濡れるのも慣れて どこに行くっていうの

879

この夏がいつまでも続けばいいのに 終わらなければいいのに 上手くいってもいかなくても 間違いなんて そんな 誰も正解を知らないことを

878

一瞬で通り過ぎてった曖昧な感情のこと 愛でも恋でもない不確かな けれども悪くはない 熱帯夜に吹く湿った風のような温度 なにも望んではいけないこと 花が揺れるただその一瞬だけを尊ぶことを忘れないで 彼らの手は大抵わたしよりも平たく 大きなかたちをし…

877

あなたのことを忘れそうになる 狂いそうなほど愛していたはずなのに いとも容易く 何度会っても あなたの顔を憶えることが出来なかった そのような不透明さは あなたという存在をより一層神秘的にさせていたのだけど いまではもうほとんどなにも思い出せない…

876

日曜日 友達に会えない 嵐の日 ずっとまえに解散したバンドの音楽を聴いている 初めて聴いてからもう随分経つのに すこしも古くならない いつまでも好きな歌 生きているひとも もういないひともいて それでも想いだけが残っている 理解することは出来なくても

875

なんといえばいいのか 限りなくピンクに近い菫色のヴェルニを持っていて 瓶のなかで揺らぐときには確かにパールがかった紫色だのに 塗ると愛らしいピンクに見える それは 試さなければ絶対買わないような色で なんとなく惜しい わたし以外に誰もその魅力に気…

874

七夕の夜は大抵雨だけど わたしは彼女が涙ぐんでいるのを見るほうがつらい 傘もタオルも役に立たないなんて そんな

873

氷砂糖に漬けた青梅はゆるやかに成熟し 透明な液体のなかに浮かんでいる 溶けきっていない氷砂糖は白い輪郭を持ち沈み 揺らすと砂時計のようにさらさらと動くのが楽しいのか 彼女は瓶を抱えながら何度も揺らして遊んだ 子供の頃の思い出に梅酒はない 親戚の…

872

すてきな男の子たちは 大抵だれかすてきな女の子と一緒になっている 薬指にひかる指輪がきれいね ひとりぼっちでいる男の子や女の子がダメいうことではなくて 恋人同士の遊びよりすてきなことを知ってたら仕方ないし 人生は短すぎる 楽しい時間は特に ふだん…

871

「また連絡してね」と言う こん畜生め 悪いおとなばかりだ! 台風が過ぎて 街はびしょ濡れになり アスファルトのあちらこちらに虹が浮かんでいる 幼いころによく棒でつついて遊んだものだけど あの正体を未だに知らない たぶん自動車の油だというのが我々の…

868

通りはもうお囃子が流れて 提灯もところどころに飾られている あの音を聴くと胸が苦しくなるのは 心が邪なせいか 過ぎ去った夏のことを思い出すからなのか 離ればなれになることを選んだのはわたしだったけど (いずれにせよ別れるときはくるのだとしても) 寂…

867

湿り気を帯びた夜が音を立てながら流れてゆく 後悔なんてなにもしていない 正しく 別れを告げるということを成し遂げたから それで充分だった さよならを教えてとは言うけれど いい加減に学ばなくてはいけない 誰も正解を教えてくれないのは 知らないからな…

866

緩やかに死んでいった午後の湿り気が 花瓶のなかで腐ってゆく 熱くなった粘液で滑りながら 肉は音を立てながら破れて 傷ついたまま何でもなかった振りをすることを咎めないでほしい 要求はどんどん増えて いまでは本当に望んでいたかどうかすらわからない 日…

865

痺れているとき わたしは流れることが出来ない 澱むこともなく渦をつくりだす 湖の岸辺からほんの少し離れただけで とても深くなっているところは 冬の雪解け水がいつまでも眠り続けているから 禁じられた線を越えた子供たちを容赦なく引き摺り込んでしまう …

864

長すぎるワンピースを買った ぎりぎり踝が見えるくらい長い黒のジャージー素材 どうしたって長すぎるけどいいんだ 夏が来ることが 季節がきちんと巡ることが嬉しい 雨は少なすぎたけど

863

近くで見たあのひとの眼が 細い二重瞼だったのを初めて知った もう会えなくても また何処かで会っても どちらでもいいね 友達じゃないし 兄妹でもないけど 少しだけ特別だった なにが ということもないけれど 少しだけわたしの神様と似ていて でも全然ちがっ…

862

彼女が死んだのは新月の朝だった それは きっと 彼女が何処かであたらしく生まれたということ やり直すことが出来たということ 死は結果ではないというふうに考えるほかにどうしようもなかった 事実死は結果ではないのだ 彼女の生きた30余年の日々のうえにた…

861

ニルゲンドヴォへゆく 雨はまだ降らない 覆い茂る草木を男は鎌でばさばさと刈り取り わたしはそのあとを 地面になぎ倒された枯草とまだ青い草のうえを 踏み締めるように歩き 河辺へ向かった 乾いた枯葉は去年の夏の蒼さだった せせらぎを流れる雪どけは色彩…

859

注文したタンクトップを引取りにゆくこと 机のうえを片付けること 誕生日カードを送ってしまうこと いつが誕生日か忘れてしまったんだけど とにかくそうすること クリーニングから戻ってきたコートのビニールを外して仕舞うこと 夜22時には布団に入って寝る…

858

夏至の日 朝露が集められない東洋の魔女たちは 低気圧にやられて布団のなか 昼も夜もない 雨に濡れた花を集めても 夢枕に立つのは死んだひとばかり 透明になった彼が生きてるときには口づけだって交わしたことはなかったのに

857

甘い香りの女の肌は陶器で出来ているので その声も空洞の壺のなかで響くように高い 壺は朝 満たされる 夜に乾いてしまうのは至極当然のことだ 油で磨かれた手脚はしなやかに動き 心臓は適切な速度で脈を打つ 誰かに教えられたわけではなく 予め設定されてい…

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時計を身につけなくなったのはいつからだったのだろう ハイスクールへ通いだしたときには 薄い水色をした文字盤のを持っていたし お仕事のときは濃い紺色の文字盤で12と6のところにダイヤモンドがついた銀色のをつけていたのに 多分電池が切れてそのままにし…

855

雨が降らない梅雨 低くなった気圧の底みたいな日曜日はなんにも出来ない どんどん腐ってゆく生卵みたいに 止めることも出来ない時間 乾かない洗濯物 iPhoneに向かって天気を尋ねる あのひとのいる国の言葉で わたしの暮らす街の天気を確認することの愚かさ …