Fiktion

1336

B.Bと呼ばれたあの有名な女優と同じ名前をもつ美術教師は 初めて会った時からわたしのことを気に入ってくれた どれくらい気に入ってくれたかというと 単位を取らなくていい講義の時間には自分の授業を受けたらいいと強引に空き時間を埋めてしまったり 違う…

1335

その街を訪れたのは まだ一度しかなくて 今後また訪れるだろうかというとわからない かつて優しかった男たち 神に仕えていた男や 海で働くことを生業としていた男たちとは もう会うこともないので あの優しさが本当の真心であったかどうかなど 今となっては…

1334

揚げたてのコロッケを頬張りながら こんな風に お腹も空いてなかったのに助手席で食べたことがあったなぁと思い出した 駐車料金を支払うのに小銭がなくて 近くの精肉店であの人はコロッケを買ってきたのだったあの人は少しも誠実ではなかったけれど コロッケ…

1333

汗ばんだ背中を手で撫ぜたときの感触を思い出していた 会議は終始水の掛け合いで終わり なにも生まれなかったし 壊されたものもこれといってなかった もしかするとそれ自体が夢だったのかと錯覚するほどの退屈 沈黙していることが賢明だと考えられたので 黙…

1332

水槽の掃除をすること流されないように注意すること日没が早くなり夜明けは遅くなった 北方では間も無く雪が降り始めるだろう 今年こそ手編みの手袋を完成させることが出来るだろうか ほどいては編んで 子供の手は少しずつ大きくなる やがてはわたしの手より…

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ニルゲンドヴォに秋が来たというので 遊びに行くと 村の入り口でちいさな妖精たちが赤やオレンジ 茶色のペンキで汚れた服でふざけていた どうやら樅木を紅葉させようとしていたらしいが あまりに背が高いので諦めて地面に手形を付けて落ち葉が積もっているよ…

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することもないので映画を観ていて思ったのは それなりに疲れるということで 泣きながら鑑賞したわりに話はあまり記憶に残っていない 安い涙だったどうしたって疲れてしまう 気圧のせいにしたいけれど 実はあまり関係がなくて よく晴れた気持ちの良い日にも…

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また嵐が近づいているので ボルシチを作ってパンを焼いておこうと思う 新鮮なセロリが手に入れば良いのだけど詩を書かなくなるのは何故だろうと聞かれた彼女は 生活を営むことに専念するからじゃないのと答えた 食べるのが楽しみになる美味しいご飯を作るこ…

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ちいさなダイヤがついたゴールドのペンダントが欲しい そう 白いリボンがかかった水色の箱に入ったあのブランドのやつ でもたぶん似合うのはプラチナだからそっちがいいかな なんて ジンクスではゴールドのチェーンで0.05カラットくらいの無色のダイヤがつい…

1326

あのひとに少しずるいところがあるのは 傷つかないようにするためかもしれないけど 他の人の気持ちはどうなるの ああ もうそんなこと気にしなくたっていいし 捨てられてもぼろぼろになったと思わなくていい 全部忘れてしまえ!

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微睡んだまま手脚を動かし 俯せの体勢から膝を腹の方へ寄せて腕を頭のほうへ伸ばし 猫のように伸びをする 右へ 左へ 肩を鳴らしながら さっき見ていた景色が夢だったんだと朧げに思い出して 少しだけ安堵した あまりに深く 透明な海と そのなかを泳いでゆく…

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死に至る病というよりは 性質の悪い風邪のようなものだった あなたが幸せになってほしいし わたしも幸せになるべきだからなんて格好をつけていたけれど 彼では彼女を幸せに出来ないと見切りをつけただけのことで ただ時間がかかりすぎたのだ 長い目で見れば…

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完全に心が戻らない乾いた唇と唇が触れ合うほんの数秒間に 色んなことが思い出されて この関係性がもう終わりに近いこと または生涯にわたって続けられることを感じた 相反する想いが 結局は実らない恋であることを確信しているのはわたし自身の理性によるも…

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掴めない水のかたちを描く流線型の速度 あらゆる規制と制限を逃れて溢れ出す匣のなかから いつか見たことがある景色を眺めていた

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ふるい映画を観た 非常によく知られた曲が今なお新鮮さを失っていないと人気で 曲だけを知っているひとも少なくないと言われている マトカは若いころ汽車を乗り継いで街の映画館まで観に行ったというが 肝心の内容は忘れてしまったらしい 実際のところわたし…

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幾つかの通り過ぎていった景色を思い出して 継ぎ接ぎの記憶を辿れば 短い夏が出来た 初めて出会ったのは雪の日だったのに ぜんぶ夏になるのはどうしてなのだろう たった500日ぽっち 2年にも満たない時間 わたしは確信している ふたりが流れていた河がもう二…

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すこし肌寒くなってきたので 空気の香りを変えた 夜に咲く花だけを集めて煮詰めた甘い匂いは 山で拾い集めた骨に染み込ませると ただ瓶から放つよりも長いあいだよく香るのだ 肉がこそげ落ちた大きな角のある動物の頭は 焼かれた骨と違ってまだ温もりを感じ…

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男の顔は履歴書とか 30歳の顔は生き様とか言えど 見た目なんてそれほど重要ではなかったはずなのに なんだか一気に冷めてしまって なんてことだろう あの人はもうかつてのように嵐に立ち向かうことも 青々と広がる海に帆を張って船出することもしない だろう…

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言葉に出来ないことを伝えられない 言わなければわからないと言われるけれど 言ってもわからないだろう そのように決めつけるのも良くないと思ってはいても なかなか出来ないことで わかろうとしたけど無理だったと言われるくらいなら 何も言わらないほうが…

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本当は会えないことをわかっているのに せめてと約束だけを取り付けたままでいて 不誠実であることに躊躇いもしないのは あの人がわたしに素っ気ないからではなく わたしの我儘 会えなくなったと伝えたら 彼は厄介なことが無くなったときっと胸を撫で下ろす…

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本の取り寄せを頼みに行ったら 問屋に在庫がないので版元に確認してからと言われ 既に出版社には確認してあると言ったものの それは火曜日のことだったので少し心配でもある まさかこの4日の内に品切れになってしまったらどうしたものか 冊子には「バックナ…

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噂話の煙がたって火元がわからない 猜疑心が強いひとの ある種 妄信的な意見によると 火をつけたのは自作自演らしいけど それって本当かなどっちが正しいとか 悪いとか じゃなくて 良くなる方が良いんだけど それだって視点の違いで違うことになるから 世界…

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いつだったかどこまでも広がるイルゲンドヴォの穀倉地帯を見に行きたいと言ったとき それって私たちが暮らすここにあるよねと屋根裏部屋から窓を開けて それなりに広がっている田園風景を見せてくれた彼女とは今も友達だけど 地平線まで続く穀倉地帯は見たこ…

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くたびれた服を売りに行ったら 二足三文にしかならなかったけど ごみに出すよりはましだ なんとなく気が引けて 衣料品回収ボックスに入れるのが一番だと思うけど なかなか見つからないお金がないとき しばしば赤十字が経営する古着屋で服を買っていた アンテ…

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サヴァイヴしてる 人並み以上にタフにならなけりゃあ やってかれないのよ あちらもこちらもゾンビが歩き回って 昔は良かっただなんて知らないっつーのー デッド・オア・アライヴ いつだってあんたは寂しがり屋で 独りで眠るってことが出来ない 出来ないんだ…

1308

あの人のことが好きなのに たぶん1週間も一緒に暮らせばうんざりするのがわかっていて どうでもいいひとたちは そんなことないよ試してみなきゃと言うけれど 自分のことくらいわかってるし あの人はそんなにいい人じゃない 幻想を追いかけているくらいが丁…

1307

歳をとるのは嫌だった というか 何者にもなれないまま大人になるのが怖かった おおきなことひとつも成し遂げられないまま ぼんやりと生きてきて わかったことは 仕事のあとにつまむ烏賊の塩辛や鰊の酢味噌和えが日本酒にとてもよくあい なんとも美味いという…

1306

世が世なら だけど世が違ったんだなぁ と男は笑い飛ばしたので わたしも違う世の未来のことを考えてみた 少しばかり愉快だった すべてわたしの思い描くと通りというのは御都合主義のドラマみたいに12回の放送できちりと終わるあのとき 北の大地に骨を埋める…

1305

明け方に目が醒めて思ったことは まだ暗いうちに家を出た朝のこと そう何度もなかったから余計によく覚えている あの人はまだ布団のなかにいるのだろうか それとも可愛い女の子と朝陽が昇ってくるのを待っているだろうか どこかの山小屋で 身体を寄せあいな…

1304

被害妄想をどんどん進めていくうちに 加害者にすらなってしまう 可哀想で可愛いという矛盾 痛めつけて泣かせてから ごめんね 痛かったねぇとヨシヨシしたげるの とは全くもって迷惑な話ではないか どうかしてるね