Fiktion

1357

日が沈むにつれ 部屋のなかの空気がしんと冷え込んでいくのがわかる 西陽が途絶えた庭を見ると槙の木の垣根が切り絵のような影を落としていた 子どもたちの叫び声と笑い声 砂利道を駆けてゆくときの石と靴が擦れ合う足音が聞こえる わたしは諦めて眼を閉じる…

1356

痛みがながく続くので ぽろぽろと愚痴をこぼしていたら そうよね 人間の身体ってある時から進化してないものねぇ と慰められたので 早く光合成が出来るようになりたいですと答えたついでに単為生殖も出来るようになればいい明日は半分に折り目をつけた紙に絵…

1355

山の法面に建てられた住宅街の灯りが 段々に並んで輝いて 遠い山並みがきらきらして見えた まだ夕方だったかもしれない 時間の感覚がわからなくなって それは朝だったような気もする

1354

助けを求める声が 誰かには届いたことは良かったと思う 見つけられなかったら死んでしまっていた かもしれない その声に気づくひとが近くにいなかったことは悲しいけど 隠しているものではあるし 誰も咎められるものではない 死のうとした彼を含めて誰もあの…

1353

夜中に何度も眼が覚めるので寝た気がしないのも 通勤電車のなかで30分居眠りをするのも 身体に悪いらしい 適度な運動と日光を浴びること 栄養バランスのとれた食事 きれいな空気 ブルーライトは眼精疲労の原因になるのであまりパソコンやスマートフォンは使…

1352

曇天が続いている 春までこんな具合だろう コートを出して来たのは正解だった やけに眠気がひどい このまま熊のように眠ってしまいたいけれど 夜中になると何度も目が覚めてしまうのだった

1351

民族衣装に身を包み 両親に手を引かれながら お宮参りに来ていた子供が不思議そうな顔をして 「神さまって男?女?」と母親に尋ねていたのを聞いて なんだか嬉しくなってしまった 興味や関心をもつのは大切なことだと思うから まだ若い女は「女じゃないかな…

1349

とても久しぶりに花を買ったと思う マニエルノワール 薄いピンクは日焼けした本のようにくすんでいて 控えめでありながら可愛らしい今日もまた黒い長袖のワンピースに袖を通しながらこれは喪服なのだと思う ぼやけたわたしの輪郭が黒い服を着ることで明確に…

1348

初めて子宮の超音波検査をしたのは何歳の頃だったろう 妊娠したかもしれないことが不安で仕方なかった 絶望に打ちひしがれながら訪れた産婦人科で 痩せた中年の男性医師は淡々と診察をしながから 「異常ありませんよ 妊娠もしていません 綺麗な子宮です」と…

1347

今日の真夜中に月が満ちるらしい 視力が落ちた目で見るには何にしたってビルの間に浮かぶ星は黄色くて丸い グレープフルーツみたいなときと目玉焼きみたいなときが多いけど 今夜のはグレープフルーツに見える しかも切ったら果肉がピンク色のルビーむかし 先…

1346

骨なんかいらないからわたしより長く生きて 5分でも いいえ 1秒でもいいから そしてわたしのことを忘れないで 愛してくれなくてもいいの かつてあなたを殺したいほど愛した女がいたことを その存在を忘れないで 最後に この世にいる間はずっと友だちでいて…

1345

あの人の香りは頭が痛くなる たぶん香水をつけすぎなのだ 朝のうちなんて目を閉じていても彼の気配がわかるし 残り香だって高校受験のまえ 通っていた塾に来ていた男の子たちの多くと仲が悪かった というのも わたしを嫌いな女の子と彼らがつるんでいたから…

1344

毛糸を買いに行ったのに 店が床屋に変わっていた もう随分前から移転していたらしい 別の店へ行くと今度は改装中の貼紙 そういえばかつてここらには輸入煙草を扱う店があって 路地で一服することもしばしば 今では路上喫煙禁止条例のもと 二人組の監視員がお…

1343

オイジェツが掘り起こしてきた牛蒡はまるでオテサーネクそのものだったので マトカにその話をしたら 知っている気がすると話し出したけれど 多分彼女は観たことないと思う オイジェツは流しのところでかなり苦労しながらオテサーネクをばらばらに切り刻んで …

1342

休日が退屈なら 週末が不要なら 勝手にしやがれ(わたしはひとりでドライブに行きます)想像できないことを書けないなら なんでも試さなければ話せないなら 詩人にはなれないな 経験した物事について 言葉をうまく選んで伝えられるのは素晴らしいことだけど …

1341

眼があってしばらく呆然としたことに理由などないから その顔に見覚えがあったわけでも 見惚れていたわけでもない もしふたりが愛しあう未来があるとしたなら その瞬間 恋に落ちたのですとキャプションをつけることで 人生がほんの少しだけ明るく色めくだろう…

1339

この河は途絶えない どんなに晴れの日が続いて村が干上がっても 湧き上がるのだ 深い泉の底から 絶え間なく聴こえる風の歌のように かつてわたしとおまえは同じ泉の水を飲んで育った ずっと 生まれる前からそうしてきたように 冷たい流れを全身で感じながら …

1338

久しぶりに通った街の 建物や道路 街路樹なんかは変わらないのに 街の名前が変わって なんだか知らないところみたいだった 特に愛着もないけれど 僕が知る街ではなかった

1337

不在ということ. わたしが求めるものは手に入れることが出来ない. 注がれるものもまたかたちがないのであるけれど. そこにいないひとを愛し, 求めてはいけない愛を要求する. 転じて それは神への純然たる信仰そのものとなる. 姿かたちのない概念, 畏れるべき…

1336

B.Bと呼ばれたあの有名な女優と同じ名前をもつ美術教師は 初めて会った時からわたしのことを気に入ってくれた どれくらい気に入ってくれたかというと 単位を取らなくていい講義の時間には自分の授業を受けたらいいと強引に空き時間を埋めてしまったり 違う…

1335

その街を訪れたのは まだ一度しかなくて 今後また訪れるだろうかというとわからない かつて優しかった男たち 神に仕えていた男や 海で働くことを生業としていた男たちとは もう会うこともないので あの優しさが本当の真心であったかどうかなど 今となっては…

1334

揚げたてのコロッケを頬張りながら こんな風に お腹も空いてなかったのに助手席で食べたことがあったなぁと思い出した 駐車料金を支払うのに小銭がなくて 近くの精肉店であの人はコロッケを買ってきたのだったあの人は少しも誠実ではなかったけれど コロッケ…

1333

汗ばんだ背中を手で撫ぜたときの感触を思い出していた 会議は終始水の掛け合いで終わり なにも生まれなかったし 壊されたものもこれといってなかった もしかするとそれ自体が夢だったのかと錯覚するほどの退屈 沈黙していることが賢明だと考えられたので 黙…

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水槽の掃除をすること流されないように注意すること日没が早くなり夜明けは遅くなった 北方では間も無く雪が降り始めるだろう 今年こそ手編みの手袋を完成させることが出来るだろうか ほどいては編んで 子供の手は少しずつ大きくなる やがてはわたしの手より…

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ニルゲンドヴォに秋が来たというので 遊びに行くと 村の入り口でちいさな妖精たちが赤やオレンジ 茶色のペンキで汚れた服でふざけていた どうやら樅木を紅葉させようとしていたらしいが あまりに背が高いので諦めて地面に手形を付けて落ち葉が積もっているよ…

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することもないので映画を観ていて思ったのは それなりに疲れるということで 泣きながら鑑賞したわりに話はあまり記憶に残っていない 安い涙だったどうしたって疲れてしまう 気圧のせいにしたいけれど 実はあまり関係がなくて よく晴れた気持ちの良い日にも…

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また嵐が近づいているので ボルシチを作ってパンを焼いておこうと思う 新鮮なセロリが手に入れば良いのだけど詩を書かなくなるのは何故だろうと聞かれた彼女は 生活を営むことに専念するからじゃないのと答えた 食べるのが楽しみになる美味しいご飯を作るこ…

1327

ちいさなダイヤがついたゴールドのペンダントが欲しい そう 白いリボンがかかった水色の箱に入ったあのブランドのやつ でもたぶん似合うのはプラチナだからそっちがいいかな なんて ジンクスではゴールドのチェーンで0.05カラットくらいの無色のダイヤがつい…

1326

あのひとに少しずるいところがあるのは 傷つかないようにするためかもしれないけど 他の人の気持ちはどうなるの ああ もうそんなこと気にしなくたっていいし 捨てられてもぼろぼろになったと思わなくていい 全部忘れてしまえ!

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微睡んだまま手脚を動かし 俯せの体勢から膝を腹の方へ寄せて腕を頭のほうへ伸ばし 猫のように伸びをする 右へ 左へ 肩を鳴らしながら さっき見ていた景色が夢だったんだと朧げに思い出して 少しだけ安堵した あまりに深く 透明な海と そのなかを泳いでゆく…