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ヴォトカ流れる河のほとりで

Das Tagebuch der Lily Mercury

742

街はもう春風が吹くたびにショーウィンドウのレースが揺れている 新しい下着が欲しい レースで出来たワイヤー無しの ああ それは何の役にも立たない! ただの飾り 誰に見せることが無くたっていい 水色のレースで作られた下着が欲しい わたしが楽しむためだ…

741

女給時代に支配人が言った「アイキューハチヨン」という言葉が忘れられない 今度は 騎士団長が殺されるというし わたしは車屋でだって働いた 鈍間 白痴と罵られ 神経がすり減ってゆく 「お客さんにねぇ 話ふられたら返さなきゃ駄目だよ ちゃんと新聞読んでさ…

739

日々どれだけのことを憶えて 忘れてしまうのだろう 大して困ってもいないけれど 例えば記念日はほとんど忘れることがない でも西暦が覚えられない 歴史の試験ではそちらの数字が重要なのに そして道順 一度歩いたところなら迷わずにたどり着ける でも人の顔…

738

詩だとか氏じゃないとかもう死んだとかどうだって良いなら 何も言うべきではないかもしれない そもそも見ても聴いてもいないのだ たぶん誰だって言葉を選んで大切に扱っているであろうことを前提に思いたい でも大切にするってどういうことなんだろう わたし…

737

北の果てに暮らしているので春が来るのが遅い 本当はもう 黒いメルトンのロングコートなんか着たくない ブーツじゃなくてパンプスで歩きたい 水玉模様のワンピースにイタリア製のコットンカーディガンを合わせて街へ出たいのに外が寒い 花瓶に生けたアネモネ…

736

14日ぶりに献血へ行った 初めて行く場所は少し緊張するのに やることは同じだから不思議な気分になる 痛いのは嫌いだけど インプラントを埋めたときも 自傷をしたときも 大して痛いとは思わなかった ただ 金属が皮膚や身体の一部を貫通するのはなんとなく怖…

735

泳ぐのを辞めた人魚の貝殻ビキニをつけて 無人島で過ごす7日間 楽園のようだった世界が地獄に変わる孤独 今すぐ単為生殖したい 白い砂の眩しい浜で 泣きながら吐き出す無精卵で血が流れる なんという悪意に満ちた秩序なんだろう

734

S駅を8:00丁度に出発し それから汽車を乗り換え 西へゆく新幹線に乗った 指定席は二列シートの窓側 海は見えたり 見えなかったりする ほとんど山の際を走るから 胎内回帰願望が叶わないなら 原点回帰を実現させるほかどうしようもないので かつて恋に落ちた…

733

目覚ましを止めて うつ伏せになり 膝をついたら背骨を伸ばし 肩をならす そのまま手をつき おでこを枕につけ 両足をゆっくり上げる 脚を揃えてまっすぐに そのまま60数える Une, deux, trois, quatre, cinq... ... soixante. 足をゆっくりおろして 毛布から…

732

「神さまの前で跪き告白する 懺悔する 祈祷する あの人が呼ぶ名前だけが真実で 愛が信仰のすべてだとしたら 何にもまして浄福なことはないのに わたしはいまだにヴォトカ流れる河のほとりで 対岸に消えたひとの面影を追い続けている 河の水が乾いて その姿が…

731

刻んで溶かして冷やして固めて かけた手間を愛情と呼んで 押しつけるのやめて ハートの砂糖 シルバーの粒 ココナッツ アイシングで描く彼女の気持ち 放課後の部室で試食しようと言って手作りチョコレートを幾つも食べた 雪の日 ね〜美味しいよ うん 絶対大丈…

729

日曜日の身体を軋ませながら 37.1℃の熱が通り過ぎてゆく 湖岸道路沿いには菜の花が咲き始めたらしい 去年買ったセーターは空色の毛糸で編まれていて たぶん黄色い花畑に似合うだろうと思う

728

彼女も好き 彼も好き でも同時にふたりは愛せなくて それ以上でもそれ以下でもない 男も女も国籍も様々な者が集う場所で 互いに気に入った者同士 口付けを交わした彼女は欲望に忠実で ある意味では誠実だった 無理矢理に受け入れる義務もなく あらゆる感情を…

727

尼僧の顔や全身を覆うベールというのか 黒い柔らかな布の衣装 それは慎み深く敬虔な色をしている 彼女はまだ若い とても若いが何処か諦めたような 憂いが漂う表情をしている 色素の薄い肌は瑞々しく 瞳はやはり薄い鳶色で いや 蒼色だったかもしれない 鼻の…

726

コンディトリーのショーケースに並べられたケーキ ピンクや緑色のマジパンで包まれたカラフルなバーケルセ そして山積みになったメレンゲ そう ひしゃげた雪玉をいくつも重ねた山に似たメレンゲが一番好きだった 卵白と白砂糖で作られた白いお菓子 柔らかく…

725

引き寄せるのか 引き寄せられたのか 忘れていたことでも必ず果たされること 予め定められたわけでもないのに 何年 何十年ごしでも生きているかぎり 願えば叶うのかもしれない 記憶の片隅で求め続けていたのならば 或いは実現させることが出来る そして恐らく…

724

寝台のうえ 電燈のした 染みだらけの天井 乾いたが しなやかな肉体 短く整えた爪の指でおまえの髪を梳く わたしは毛布をかけながら 頸だけを動かして口付けを交わす 冬のおわり 春のまえ まだ固い花の蕾が幾多も増えたけれど 未だに庭の雪は白いおまえの指が…

723

感冒が蔓延しているので部屋のなかから ひとり またひとりと隔離されてゆく 酷い熱が出たという男は 今朝ようやく帰ってきたばかり 学生生活も残り僅かなとき 恋人の母親が還らぬ人となり 彼の実家がある村 -そこは初めて訪れる場所であり 彼自身も久々の帰…

722

白っぽいぺたぺたした水気の多い雪 濡れるから嫌だなぁと足早に石畳を歩き 門扉を開けると 先生が男の人と何やら話していた挨拶を交わすやいなや これは霙というの? と 先生が尋ねるので はい霙です と答えると ふぅん と彼女は眼を丸くし 男の人はほらね …

721

お告げはないけど旅行に行こうと思う 思い立ったが吉日 行き先はわからない 神さまは何処でもいいよっていうし ダーツが無いから阿弥陀籤 紙と筆記具だけで出来るなんて冴えてる ぜんぶ雪のせいにしたい ぜんぶ

719

服屋の店員は何処かの劇団の座長みたいに慇懃な笑いかたをしながら 手もみをしていたけど 給料3ヶ月分くらいのドレスは 本物の毛皮みたいに毛並のよいプリントで とてもかろやかな生地をたっぷりつかい 歩くたびに裾からアンダースカートのレースが覗くとい…

718

あたらしい駅が出来るという 近いうち 田園地帯はマンション建設の用地として 白い板で囲まれてるだろう 水路にはコンクリート製の蓋がされ 納屋の代わりにコンビニエンス・ストアが建てられるだろう あたらしい街は政令指定都市のベッドタウンとして機能す…

717

美容関係の書籍コーナーへ行くと そこらじゅうに パリ パリ パリ と書いてあるので サラダかよって思った それも新鮮なキャベツかレタス 葉物じゃなくてはだめ 玉葱や人参ではそんな音がしない 一日にボウル一杯のサラダと チアシード入りのデトックス・ウォ…

716

取れたボタンをつけること 誕生日祝いのカードを書くこと 入浴剤を詰替用の容器に移すこと あの人の返信に期待しないこと旅行店で案内誌をもらうこと 更衣室の絨毯を掃除すること つぎの授業は休みでも宿題をしておくこと アイスクリームはひとつだけ食べて…

715

無理に忘れなくてもいい どうせ忘れてしまうから どれほど愛したつもりでも なにも残らない

714

音から覚えること 声に出してみること 「赤ちゃんは自然と言葉を覚えていきますよね」なんて 赤ちゃんはお手入れしなくてもお肌ツヤツヤじゃーん って わたしは目元クリームを塗りながらぼやく 宣伝が終わり ラジオは交通状況を流しはじめた 雪で通行止めさ…

713

パリを目指すのは 生きているひとに会うためではなく 墓参りをするためだから ある意味ではいつでもいい わたしの都合さえあえば 彼は石碑の下に眠っているから たぶんずっとラ・セーヌ わたしはそのほとりで迷子になった シャンゼリゼからはるか遠く 全然知…

712

営みを続けることに意味が見出せないから チューブのなかを流れる血液を見るときにだけ 生きていることを実感できる かつて出血多量で死に瀕したひとの 脚から流れたあの赤黒さ コンクリート上の血溜まり 漏れたガスの匂いが 人生が通り過ぎてゆく香りだとす…

711

似合う色かたちというよりは 肌に合うとか しっくり馴染むとか そういう感じ 淡い色は顔色が悪く見えるとか 青は青でも目に刺さる青だとか とにかく自分で納得しなくちゃだめ 若い子だけが 女だけが着ていい色なんてものはないし 黒を着ておけばいいなんて退…

709

探していた部屋は消滅していた信じ難いことだが 隠し場所に鍵は無かったし 開けるべき扉も無かったのだ いつ? だれが? あまりに長い時が流れたとはいえ まるで初めから無かったかのように消えてしまうなんて手元に残った古い手紙を 細かく破いてから言われ…

708

目的もないのに 新しい言葉を覚えるというのは無駄なのだろうけど 使えなくたって魔法の呪文を覚えるのはわくわくする なにを目指しているのと訊かれても答えられない けれど魔法が使えるようになりたい言葉を読むことは 口に出して発声するということには …

707

歩くのが好きなのか 移り変わる景色を眺めるのが好きなのか どちらでも構わないが 気候が悪くなければ つまり 酷く荒れた空模様であったり 灼けるように暑いときでなければ 歩くことは苦ではない 目的地があってもなくても良いから やはり歩くのが好きなのか…

706

ファッション誌の紙面に訪れた春と恋 わたしは "YES" が幾つあるのか数えるのが億劫になり 2017年にどうすれば幸せになれるのか知れなかった かといって マラソンを始めるのが吉とか ミニスカートがラッキーアイテムと言われても困る

705

5年前の今日 彼はまだ生きていて わたしは彼女を知らず 彼らもまたわたしを知らなかった死は暗い闇 或いは粘着質の泥のように足元にへばりつくのではなく 空気のように 当たり前にある それは恐ろしいことではない 営みの一部であるのだから

704

霜がおりた枯草が昇りはじめた太陽の光に照らされ出して ところどころ金色に濡れているのが 雪のなかで眠る女の髪のように見える 凍らない河は脈々と流れる 雪と金髪の草むらの間を 朝陽が燃えあがる遠くの山並みから流れる 光で煌めく水面は美しいどこかで…

703

近頃わたしはとってもあのひとの子供がほしい生でヤルとか中出しセックスがしたいとかそういう問題ではなくて むしろ確実に受精出来るならなんだっていい あのひとのとびきり元気な精子を子宮に 独りでも生きてゆける強くて優れた遺伝子を与えてほしい 受胎…

702

とても美しい翡翠に似た瞳の女と再会した 奥行きのある緑の瞳孔 その縁はほんのりと赤みがかっている 生まれつきそのような眼であるそうだ 明るい茶色の髪と 白く柔らかそうな肌 そしてルージュで塗られた紅い唇 何もかもが彼女の存在を完璧に構成していた …

701

晴れ間に窓を開け 白い雪で埋もれたベランダに立つと 柔らかなパウダースノーの下は氷 裸足の指が濡れる 凍てる 震える 太陽の光が眩しい 凍った湖のほとりでは火を焚いて 全身で自然の恵みを感じて過ごしたものだった

699

ひどい寒波が来るというので 春の花を買った ステラという名のスイートピー 生成のレースみたいな色で愛らしいアンナ エルザ ユリア カミラ オルガ 母音aで終わる名前は素敵だ 思えば一族には誰もいないので 憧れているのかもしれない 呼んだあと開いたまま…

698

空の色について しばしば忘れてしまいそうになる 思い出せなくても然程困ることはないけれど 出来るだけ正確に描けると嬉しい靄のように雲が薄く漂い 彩度は低め 乱視のきみは電飾を厭い 空ばかり見る 静けさのなかで空気は震え 記憶と共に霞んでゆく 現実だ…

697

まどろみのなかで心中に誘われて かつて亡命をもちかけてきた人のことを思い出した 亡命という字は 命を亡くすと書くので きっと祖国を失うということは どれだけ逃げても限りなく死に近くて ある意味では心中にも近いのかもしれない愛する人から最期の相手…

696

消した覚えもないのに見つからない映像を探して 結局 残ってはいなかった あれは日本海に消えた泡になったのだあまりに澄んだ水は海面と空の境目が曖昧であることを知らなかった 冬の朝 揺らぐ藻と 光を反射する魚の鱗 そして冷たい流れが海中であることを肯…

695

時おり どうしようもない眠気に襲われる 吐き気でなくてよかった 成人式のことをほとんど覚えていなくて 実際行っていないから仕方がないのだけど 二次会にも行かなかった あとで友人から 居酒屋で年齢確認をされ 数名早生まれの者がいたために酒類が提供さ…

694

雨が続くので日がな一日映画を観ていた 天気が良ければドライブへ行こうとしたのだけど 結果としては 部屋から一歩も出ることなく 南極から世界中をめぐり 戦国時代から22世紀の未来まで観ることが出来た 洗濯物は 下着の一枚だって乾かなかった

693

友達だから寝ないし 会えなくても平気だというなら わたしはもう友達にはなりたくないと思う いつか二人の関係性を 友達とは呼べないと言った君のことを思い出して 悲しいような気持ちになる だけど 友達と寝るということのほうが ずっと惨めで寂しい

692

「その靴 すてきね ベルリンで買ったの?」 日なたのベンチに並んで座った彼は視線を自分の足元へ向け「ああ」と短く応えた 「ぴかぴか光ってないところが好きだわ」 「磨いてないからだよ 初めは光ってたんだ」 「そうじゃなくて こういう感じの革がいいの …

691

ちいさな花がいっぱい散らばった模様 砂浜を走れない足捌きが悪い生地で作られたスカート 「年中履けますよ」だなんて わたしがどんなところに住んでいるかも知らないで笑っちゃう だけどとってもとっても可愛いからいいの 春がきたら赤いカーディガンに 夏…

689

解体するのはそれほど難しくはなかったし バランスや順番を考える必要もほとんどなかった 組み立てることに比べたらなんて単純 悩まなくてもひたすら螺子を回して外すの繰り返しを続けると 自然にかたかたと音を立てながら形を失くしていった 何だってそうひ…

688

想像し難いほどの孤独や疎外感を抱えて死ぬよりも 愛だけを胸に抱いていてほしいし それは想うだけの気持ちではなく 与えられたものであってほしい高いところを目指して 転がり落ちたって 死ななきゃ大丈夫 翼が無くたってある意味では飛べるし 妨げるものを…

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新年 あけましておめでとうございますとはいえ 特にめでたくもないのだけれど 1/1を基準日とすれば 1年間なんとか健康に過ごせたのは おめでたいことなのだと思う『門松は冥土の旅の一里塚』とはうまくいったものだ夜半に神社へ向かい お詣りをした 燃え盛る…