Wirklichkeit

940

昨日みた夢には 10年くらいまえに親しかったひとがたくさん出てきて 少し懐かしいような気持ちになったけど 目覚めたところで 誰の連絡先も知らないことを思い出した 苗字が変わってゆく女たちのうち 何人かは元の名に戻した ニルゲンドヴォでは決してありえ…

930

私たちのこと誰も知らない街へ行きたいね なんて どうだっていいんだけどさ 初めから楽園なんて無かったわけだし ねぇ あと数日のうちに君はまた何処かの海へ行ってしまう けれどもわたしは港へ行かない 旅券は間もなく有効期限が切れて使えなくなるし そも…

920

夏休みが終わっても 寂しくない もうずっと友達だから会えなくても平気 なんて嘘 季節が変わっても一緒にいられたらいい どんどん夜が長くなるから もっと傍にいたい

910

8月は命日が多すぎる 風のない午後 アスファルトの道路に蜃気楼 喜ぶとか悲しむとか 愛するとか憎むとか 言葉で説明できない感情を持て余して蔑ろにするのか あの子がいなくなってから何度目の夏なんだろう 揺らぐこともない樹々が空に向かって立ち尽くす …

900

集めてはいけない秘密を墓場までもってゆく季節 入道雲も鳳仙花も蝉時雨もない不夜城で過ごす あなたの指がわたしの内臓を擦る音と 荒くなる呼吸の音だけがやけに大きく響く 磨り減って行くのは冷たくなった心で それ以外なにもない

890

すぐに消えてしまうもの 泡 蜃気楼 煙 虹 そういったものを美しいと思う 常にかたちを変えてゆくものを 追い求めることを辞めて どの瞬間も 愛しく思う 波のかたちも 砂の模様も すべてちがう世界で わたしはあなたのすべてを尊び 安らかであることを祈る

880

いまではもう踊りかたをすっかり忘れてしまった テキーラの焼けるような熱い甘さとか 革張りのソファの柔らかさとか どのようにして過ごしたんだろう いつかの夏 N市のクラブで 屈強な身体付きをした海兵隊の男や 陽に焼けた肌が美しい若い女たちと一緒に明…

870

望まないものを願うだなんて 頓馬なことだけど いつかは本当に欲しかったのかもしれないし 明日になれば心から願うことになるかもしれない たいしたことじゃなくても 大切なことになるかもしれない その願いが叶っても叶わなくても 来週 来月になればよりい…

860

秩序さえ守れば誰も傷つきはしないのだ 背徳も冒涜もなくただひたすら清廉で美しくあることを望む 階段のところで立ち話をしてから別れたあと ひとりきりになってから 顔に両手をあてて泣く真似をすると 途端にとても悲しい気持ちが溢れ出した 若いひとたち …

850

ちいさな石が好きで幼いころはよく拾ったものだった 家の前栽にまかれた那智黒や御影石まで拾ってポケットに入れて叱られたのだ N君という寺の息子としばしば一緒に学校から歩いて帰っていた 本当はK君が一番の仲良しだったのに なぜか彼と遊びながら帰った…

840

いつかまた何処かであなたと会えたらいいのにそれが夏で すこやかな森のなかにある湖のほとりであればもっと素敵だ 鳥が歌い蜻蛉が舞う 青草の生えた岸辺 穏やかな陽射しと冷たい風を 短く眩しいひかりの季節を あなたと過ごせたらいいのに

830

庭に毒草ばかり植えていた女のことを 魔女だと思っていたのだが 林檎を喉に詰めて死んだのだった 鈴蘭と狐の手袋が咲く庭の 畑に実る苺を誰も盗みにやって来ない 魔女ではなかった女の娘が育てた苺は歪なかたちをしている

820

乾いてしまった絵の具 二層に分離した液体 固まって蓋が開かない瓶 脚のもげた蝶 蝶番が壊れた木箱は昔 ケルキパ共和国で暮らす友人のMがくれたもので 明るい色の光が塗られている 開けるのは簡単だけど 閉める時が少し難しい ちょっとだけ左右にずらして ネ…

810

砂利道をゆっくりと歩いた 昼下がり 風がすこし強い そういえば今年は春一番を聞かないうちに季節が変わっていたんだ 木枯らしのことも知らなかった 知らない間に年が明けていたんだった 声を聴きたい そう思うけれど なにも話すことがない 聞きたいこともな…

800

どうして水槽の水はいつも青緑色に透けるのだろう 鋭利な刃物のように尖ったヒレが水面を切り裂き 無数のあぶくを噴き出させる 突風が吹き付けて花を一斉に散らすように あぶくは煌めく 人工海水で満たされた海は 驚くほど精巧につくられていて わたしにはも…

780

とても愛されていることを伝えられたとき それに応じられるだけのことが出来なくて 初めて妥協という言葉の意味を知った そんなことしたって何にもならない わたしには身籠もる資格もない 過ぎてから初めて その季節が儚く 美しかったことに気づいて悔やむの…

770

もう清らかでなくなった関係において わたしはあのひとを愛し続けている そのことが誰にも知られませんように

760

山際の村の夕暮れは早くて 寂しい そのぶん朝が早いというわけでもないのに 通り雨で濡れた甍の波が 波というよりは鱗のように煌めいている ところどころに梅が咲いている 真っ直ぐに枝を伸ばしているのが好きだ 去年の柿は畑の隅で鈴なりのまま褪せてゆく …

750

ウルリーケにも グレートヒェンにもなれなかったわたしの春 通り過ぎていった季節 美しかったはずのひと時 わたしはあなたを愛していた 心から崇め 敬っていた そして畏れていた どれほど近くで話していたとしても 階段教室の教壇と座席のような関係ではなく…

740

明瞭になりかけていた輪郭が 再び朧げになっている 何もかもが遠くにあるようだ 触れているものでさえ 其処にはないように感じる 冬の残り香が漂う夕暮れに 何処へ行けばいいのか 安値いりぼんで結わえた髪を風が撫でてゆく 今はもう寂しさすら感じない なん…

730

沈まないし 澱まないし わたしは透明 冷たかったり熱かったりする 流れるように生きているけれど 流されてはいない 今のところはたぶん 何処かへ行く予定はない 誰かと一緒になるつもりもない だけどいつだって準備は整えて置かなければ そういう気持ちで暮…

720

いつかの春休み わたしは20歳の誕生日を大好きなひとと学生寮の共同台所で ふたりきりで迎えた 夕食後のたわいもない会話 まどろみのなか 日付が変わってすぐに彼女は お祝いの言葉とロザリオをくれた 憧れていた異国の地で 窓から見える景色も 吹きこぼれた…

710

10年前に出逢ったひと そのときに着ていたコートと 同じブーツを履いていて 少しも懐かしいと思わない 何も変わらない 髪型も えくぼも 昔のまま 思い出にならない 永遠の一瞬が続いているから 何も変わらないずっと お慕い申し上げます

700

欲しいものを訊かれたとき うまく答えられなくて口ごもっていたら 骨をあげると言われたので わたしより先に死なないでと答えたけれど 本当は指輪が欲しかった 愛による束縛を可視化したそれを身につけたかったんだ ふだん 指輪なんかしないくせに 神さまに…

690

マシュマロみたいな女の子になりたかった そうして あの人にやさしく撫ぜられて 舐めて 舌の上で溶かして欲しかったんだ指が内臓のなかで動くあの感覚を 今でも覚えていて 鏡の前で絡みあう肉体が現実とは思えないほど憂鬱にみえた 浮遊感は痛みで引き戻され…

680

山へ登りたいというので 峠を目指したが 既に冬季通行止めの案内が出ていた 番人によると山肌に薄く残った白い雪は ゆうべ降ったものだということだった わたしたちは遠くに雪山を眺めながら 冷たい風が吹く橋の上を歩いた 陽が傾いた湖の傍はとても寒い そ…

670

この冬一番の冷え込みになるでしょうと言われた朝にユメちゃんは死んだ 15歳だった ずっと眠ってばかりで そのまま冷たくなってしまった夢の先に天国 向かいの家のおばさんは泣きながら亡骸を抱きかかえて森のほうへ歩いてゆき 夕方 雪が降ってきたころ 森林…

660

光のなかに立つ彼を見つめながら解ったことは わたしは誰も愛してはいなかったことで 彼らもまた同じ気持ちでいたであろうということ 悲しいことではない 傍目にはそれが愛であるとも言えたし そう信じることだって出来たいつかの夜 助手席に座りながら彼は …

650

パン屋の広告に仏蘭西から直輸入したクロワッサンだとあるので どうやってぱりぱりの皮が壊れないで届けられるのかと尋ねたら 焼くのは届いてからですと言われたのでなるほどと思った雨の午後食事に対して 大して関心がなかったころ わたしは食べることが面…

640

とても良い香りの石鹸と入浴剤を見つけたので 買おうとしたのだけど 月末にポイントセールがあるので待とうと思う その頃まで売り切れませんように 春にはうかうかして 桜の香りのを買い損ねてしまったんだった一体どうして そんなに石鹸だの 香水だの 欲し…

630

飛行機の座席の背面にある液晶画面 または客室の前方にある大型スクリーンに時折映し出される現在地情報というのか 地図の上をとぶ飛行機の印を追うのが好きだ とはいえ ユーラシア大陸上空を飛ぶことばかりだったので 太平洋の方へ飛んだのは10年以上前で …

620

酔うても 酔うても まだ呑み足りぬ 蠍座の男の子と恋をしたのは どの夏だったのだろう テキーラのように刺激的で 太陽のように燃える情熱で溢れていた 不死身の少年は海も砂漠も越えて あちらこちらに口付けを残して次の街へゆく 陽に灼けた肌が白さを取り戻…

610

戻ることを願う日々がないことは幸福であるのか 何処まで行っても平坦な道が続くこの街から見えるいちばん高い山に登ったことはない 学校を出たら 公務員になった幼馴染と結婚して 自転車で通える距離にあるスーパーへパートタイムで働きながら 自分が通った…

600

朝の蒼さを愛していた 肌は白磁のように滑らかに 血は紅く燃え 硝子は透明であった 喧騒の名残を乗せたドイツ車が首都高速道路を走り わたしは助手席で海を探した 波の音や 潮の香りを感じたかったので あなたがいなくても わたしがいなくても 夜は明けるか…

580

殴られるときは奥歯を噛み締めておかなければいけない 口の中で切れてしまうから しっかりと歯を食いしばっておかなければ しかし同時に 声をあげて快楽に悦ぶことも必要なのだ 堪えるばかりでは飽きられてしまう 肌が裂けて血が流れることを恐れてはいけな…

570

構って欲しがりの君は たぶん 何もなかったみたいに歓迎してくれるだろう 或いは待ちくたびれているのかも 既に興味はないけれど 傷つけたくはないので 何もなかったみたいに 知らないふりをするというのは 善人ぶってるだけで 君のことなんてもう なんとも…

560

l'été dernier.あなたを愛することが出来てよかった10日間の恋はしあわせだった夜の高瀬川が街灯で煌めくのは あまりにも美しくて泣きたかった 叶わないことも 叶わなかったことも 本当は知っていて それはある意味では絶望だというのに とても愛しくて あな…

550

透きとおったままで 深みまでゆけるから 何も恐れずに溺れることが出来る 明るさ ちいさな魚が足元を泳ぎ去る ほとんど奇跡みたいな島で かつて夏を共に過ごした恋人たちはみな泳ぎ方を知らなかった そもそも浴槽以外の水中に浸かったことすらないと言うので…

540

不思議な鳥の声で目が覚めた 続いてエンマコオロギの鳴き声 新聞配達人が乗るバイクの音 油蟬 烏の声が羽音と共にだんだんと近づいて また遠ざかる カーテンを開けると 向かいにある教会の白壁が朝日で橙色になっていた顔を洗い 服を着替えて まだ涼しい村の…

520

スケジュール帳を持たなくなったのは iPhoneがあるからではなく 記すことが無くなったからだった 今でも憶えていられること以上の予定は立てない 大体 間際に決めるから 特に必要がないのだ 夢にも思わなかったことが 次々と現実になり 不可能は可能になった…

510

雨が降る すこしまえ 空気が湿り気を帯びた庭 蜘蛛の巣についた 水滴は 硝子玉の首飾りのようになり 風が吹くたび ゆらゆらときらめく 光もないのに ああ この蒼さ 陽はまだ沈まない 曇り空はちゃんと 灰色をしている けれども 時間のもんだいなのだ 家に帰…

500

こどものころ 永遠のように感じていた時間は 歳を追うことに加速している 500日 約1年半弱 嘘ばかりでも日記を書き続けたということは初めてだったかもしれない 以前の日記帳は全て廃棄してしまったので 調べようがないのだった時が経つ速さに驚く一方で ま…

490

後悔は先に立たぬが 思い立ったが吉日という むかしはよく 「先に考えてからやらなきゃ」と言われたが 今やるか 一生やらないか もう悩んでいる暇すら惜しい 隔てる距離を今すぐ 無いことに出来たらいいのに

480

若き日の もっとも美しいとされる時期 それは夏だった 夜明け前の空を覆う 青いかがやきの連続 露に濡れた草むらのように きよらかで まだなにも知らなかった 彼女は 新しい母親から 新しい母の味を受け継ぐ いや本当の母のことは ほとんど憶えていないから …

470

生花店の薔薇は 棘を抜かれて なす術もなく愛でられる 生まれながらにして 棘など無かったかのように 硝子瓶のなかで佇んでいるだけ南向きの部屋は明るく 大きな窓から見えるのは 旧い街並と その向こうに海 坂道を真っ直ぐ降れば夏がある 水兵の描かれた小…

460

真夜中の貨物列車が 汽笛を鳴らしながら通り過ぎてゆく ヴォトカは透明な瓶から 流れてゆく かつて兄弟であった かもしれない まだ見ぬ国の誰か すれ違うのはいつも歩車分離信号のある交差点で 急ぎ足だから気付かない 針葉樹林の無い 穏やかな気候の街で 虎…

450

祈りのうたが聴こえた 空のうえで 黒い煙を吐きながら飛ぶ戦闘機は いつの間にか 消えた 夢だったかもしれない 唇も 指先も 身体の奥に残された 痛みだけが 確かだなんて

440

革命を諦めた子供たち 徒労に終わったわけではなかったのだが 変化はもたらされず いまや状況は悪化する一方となった街角では街宣車が走り 一例に並んだ信心深い女たちは終末を嘆いている 夜 ふたたび冷えこんだ身体を 火酒と知らない男の手を借りて温める …

430

きみの唇は比喩ではなく 事実甘くて それは 口付ける直前に飲んだ 甘い水のせいだったファースト・キスに憧れていた まだ幼かった頃 それが檸檬の味だなんて 誰が言ったのだろう 唾液は舌の上をどこまでも生温く滑り 大抵はアルコールの味がしたことは 悲し…

420

きみの存在 もうとうに実在していない きみの生きていた証 遺灰ですら 風に吹かれてしまった きみの せめて感覚だけは ずっと覚えていられるはずだったのに 今ではほとんど 感じられなくなってしまった 春の湿り気を帯びた午後に わたしは記憶を失ってゆく …