Wirklichkeit

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小さいころにいた神さまのことをよく覚えていない 裏の家に住んでいた神さまの姿をついに見ることはなかったけれど 後年は南の方にあるホスピスで過ごしたという話だったので 間違いなく人間だった 村で起きた大抵の不思議な事件は風や子供の悪戯だったし 悪…

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不条理を愛していた男は わたしの掴みどころがないところが好きだと言っていたけれど なにを考えているのかわからないと泣きながら 電話で別れを告げてきた わたしは交差点の横断歩道を渡りながら いいよ と言って電話を切った ふたりで見ることがなかった景…

1480

15歳 若さと美しさが同時に溢れんばかりの春 どの季節も二度と同じようには流れないとはいえ 人生のうちでも特別な時期 大人にはまだ早いのに とうに第二次性徴を迎えた身体は既に子供らしさを失い 成熟へと向かってゆく15歳 その後の人生を決めてしまうには…

1470

誰にも会わなかった昼下がり 映画を2本見て 陽が沈む前に食料品を買いに行き また春が来るのはすこし悲しいと思った 佳きことではあるのだけど

1460

10年前にたった一晩 愛した男を忘れるのに5年かかった あんなに好きだったのに どうしてどうでも良くなるんだろう 『沈黙』で 最期までこっそり十字架を持っていた男の名を思い出せない 何度も 何度も転んでも 裏切っても さいごの最期に殉死したあの男のこ…

1450

暖かくなると聞いていたけれど とても寒かったと話すと こうして一雨ごとに春が近づくのよと女は微笑んだ 彼と最期に会ったのもこんな時期だった 霙まじりの日で 葬式は雪のなか執り行われた

1430

香りが無い花のパルファムに興味がある おそらく花のもつイメージから合成した香りをつくっているのだろう 気になったので百貨店へ試しに行ったけれどそのパルファムは取り扱っていなかった 代わりに勿忘草のものを試したら石鹸に似た香りがして 勿忘草にも…

1420

ちょっとしたことで花器が割れてしまった 元はカラフェだったので 倒れた拍子にくびれたところのうえがわが驚くほど簡単に ぱん と音を立て 透明なガラス片が幾つか散らばった そうなることが当然であったかのように友人の引越しを手伝ったとき 不燃ごみに出…

1410

新しい髪型を褒められたので きっともう変えられない 飽きてしまうまで ずっとこのままにしたい生まれる時代と国を間違えたわたしは フェルナンダ・リーになれなかったので 髪の色をピンクにすることがないまま大人になった 別に何歳になってもどんな髪の色…

1400

あなたの名前を忘れてしまいたい 最後に会った日も 初めて出会った日も 嵐の最中だった 夏の激しい暴風と そのあとに照りつく陽射しの暑さを わたしはいまだに思い出す あなたの顔を忘れてしまいたい もう ずいぶん前のこと あなたはまるでダビデ像のように…

1390

昼過ぎ 窓の外をふと見たら 銀杏並木が陽射しできらめいていた 三階の部屋からは背が高い樹の上のほうだけが見える 風が吹くたびに 激しく揺らいで 舞い上がる葉は黄金の風になる来客を見送るため 階段を降りて玄関へ行ったついでに 裏口にある駐輪場のほう…

1380

今年の冬は温かいらしいよ なんて噂に安心してたけどやっぱり寒いのは寒い 息を吸うと鼻の頭がつんと痛くなって 狐の襟巻きを巻いた首をすくめた イルミネーションが輝いてる夜の帰り道 どこからか聴こえてくるマライア・キャリーの歌声 今すぐ会いに行きた…

1370

どこで暮らそうとも近くには水辺があった もしくは 水辺の近くで生活が営まれていた バプチャやマトカの故郷は貧しい農村で つまり彼女たちのやり方を見て育ったわたしもまた その貧しさがあたりまえのことであったから 緑かがやく森さえ信じて なにも知らな…

1360

あまり話したことがなかったひとが死んで はじめてそのひとのプライベートなことを知り でも きっともう思い出すこともないのだろう 「3日もすればみんな忘れちまうんだ まるで最初からいなかったみたいに 寂しいもんだな」と男は言った みんな口にしないだ…

1350

外へ出て 人と出会い 話さなければならない まだ知らないあなたがどのようなひとであるのか知りたいし あなたが知らないわたしを伝えたいとも思う ただそうするための熱量が足りない 跳び箱を跳びこえる勢いをつけるための踏切板がない それを誰かが何処から…

1340

学食へ行くとボルシチが216円だったので あまり期待はせずに-大抵の場合 日本で食べるボルシチにはビーツが入っていない-注文すると 案の定 борщのбの字も入っていないような たっぷり豆が入ったミネストローネが出てきたので 家に帰ってレシートを整理す…

1330

鳥は歌わぬ 都会の午後に愛は流れぬ 淀んだ水辺を風がそよぎて木々は揺れ哀しげに笑う顔を隠した 他人になれたら楽なのにいつまで経っても愛しいもう一生会えないとても忘れないでと私は言った

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くたびれた身体を起こし 顔をあげると大きな月が見えた こないだの満月は雨で見えなかったけれど まだそれなりに丸いし とても明るくてきれいに光っていた青い色が好きだ 大好きな空も海も青いから 初めて作ってもらったワンピースは青いギンガムチェックの…

1310

眠気を堪えながら覗き込んで夏の名残を探した 濁りのない水が流れてゆくちいさな河 どこへ流れてゆくのか うつろな意識のままで

1300

まだ人通りの少ない日曜の朝の駅靴の音がやけに響く階段を降りて また上って 自販機で切符を買い 指定された乗り場を目指す好きなひとのところへ 会いにゆくのはひとりでたとえそこに彼がいなくてももうこの世にいないときでも定刻通りに 予め定められた列車…

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それぞれの季節が終わってゆく ヒグラシの鳴き声は 実は前から聴こえていたのだけどスーパーマーケットは相変わらず混んでいた かつてはその棚と人間の間をすり抜けて歩くだけでも 酷く疲れたもので もう一生人混みにはいけないとさえ思っていたのに いつか …

1280

素敵なかたちの照明を見つけた 高さを調べたら大好きなあの人と同じだけあった わたしの部屋を照らし出してくれるだろう コードを繋ぎさえすれば ちいさな電球でも暖かい光を放つだろう 古びれない曲線の滑らかさを美しいの一言で終えるには惜しいけれど 他…

1270

あと3ヶ月もすればまた冬が来る 草木が枯れた野原に白い雪が積もる その頃わたしは何をしているのだろう 今年は新しいコートを買えるだろうか 髪は切る予定 うんと短くするのもいいかな 楽だろうね そう言えばヴィーナスってどこのシャンプー使ってたと思う…

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教会のなかは静かでひんやりとしていた 足音とひそひそ声が不快ではない程度に聞こえるその空間を表現するには まさしく静謐という言葉が相応しかった 石造りの床 壁 天井 そして石像 今は誰も触れることが出来ないパイプオルガン 調律するひとがきっといる…

1250

見慣れているようで やはりこの景色を知らない 遠くまで広がる黄金色の畑と澄んだ空の色を 猛スピードで走り抜けてゆく 夕暮れ時の風を 土に残った太陽の温もりを 刈り取られた草からたちのぼる青くさい匂いを 知らないし 忘れる

1240

二十歳を過ぎた頃から夏ごとにひとが死んだし 生まれたし 違う男と花火を見て かき氷を食べた 初めて告白したのは小学生の時だったけど それから一度もちゃんと好きと言ったことがないし 言われたこともない 最後に生き物を飼ったのはいつだっただろう 水槽…

1230

書店へ行き取り置きしていた雑誌を買いにいくこと目覚まし時計を修理して ちゃんと鳴るようにすること素敵な名前の店の話を聞いたけれど 行くことはないだろう なにせとても高いのだ 毎日通わないとしたならあまり意味がない そういう店の話だった

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ひらひらと舞う数多の羽根 緑織りなす林の奥で 殖えてゆく生命の温度が知りたい 孕めない雄の熱さと 殖える気の無い雌の冷たさ わたしはこのまま 土へ還るのだろうか 灰は灰に 塵は塵にとは言うけれど

1210

言葉にすると面白くなくなってしまうこと 口に出すと笑っちゃう話になること 思いもよらないひとの 想像出来ない一言 救われたり救われなかったりするけど 大抵のことは大丈夫 泣きたくなるような話をしてる内に笑えてきて 馬鹿みたいって言ったら そういう…

1200

何年経っても着られるオーソドックスな服は無難であるがゆえに 余計に難しいというのはお洒落をするうえでは事実で 毛玉や穴も構わないなら 人の目を一切気にしないと言うならなんでもいい そうでなければなるべく上質なものを手に入れ きちんと手入れするこ…