Wirklichkeit

780

とても愛されていることを伝えられたとき それに応じられるだけのことが出来なくて 初めて妥協という言葉の意味を知った そんなことしたって何にもならない わたしには身籠もる資格もない 過ぎてから初めて その季節が儚く 美しかったことに気づいて悔やむの…

770

もう清らかでなくなった関係において わたしはあのひとを愛し続けている そのことが誰にも知られませんように

760

山際の村の夕暮れは早くて 寂しい そのぶん朝が早いというわけでもないのに 通り雨で濡れた甍の波が 波というよりは鱗のように煌めいている ところどころに梅が咲いている 真っ直ぐに枝を伸ばしているのが好きだ 去年の柿は畑の隅で鈴なりのまま褪せてゆく …

750

ウルリーケにも グレートヒェンにもなれなかったわたしの春 通り過ぎていった季節 美しかったはずのひと時 わたしはあなたを愛していた 心から崇め 敬っていた そして畏れていた どれほど近くで話していたとしても 階段教室の教壇と座席のような関係ではなく…

740

明瞭になりかけていた輪郭が 再び朧げになっている 何もかもが遠くにあるようだ 触れているものでさえ 其処にはないように感じる 冬の残り香が漂う夕暮れに 何処へ行けばいいのか 安値いりぼんで結わえた髪を風が撫でてゆく 今はもう寂しさすら感じない なん…

730

沈まないし 澱まないし わたしは透明 冷たかったり熱かったりする 流れるように生きているけれど 流されてはいない 今のところはたぶん 何処かへ行く予定はない 誰かと一緒になるつもりもない だけどいつだって準備は整えて置かなければ そういう気持ちで暮…

720

いつかの春休み わたしは20歳の誕生日を大好きなひとと学生寮の共同台所で ふたりきりで迎えた 夕食後のたわいもない会話 まどろみのなか 日付が変わってすぐに彼女は お祝いの言葉とロザリオをくれた 憧れていた異国の地で 窓から見える景色も 吹きこぼれた…

710

10年前に出逢ったひと そのときに着ていたコートと 同じブーツを履いていて 少しも懐かしいと思わない 何も変わらない 髪型も えくぼも 昔のまま 思い出にならない 永遠の一瞬が続いているから 何も変わらないずっと お慕い申し上げます

700

欲しいものを訊かれたとき うまく答えられなくて口ごもっていたら 骨をあげると言われたので わたしより先に死なないでと答えたけれど 本当は指輪が欲しかった 愛による束縛を可視化したそれを身につけたかったんだ ふだん 指輪なんかしないくせに 神さまに…

690

マシュマロみたいな女の子になりたかった そうして あの人にやさしく撫ぜられて 舐めて 舌の上で溶かして欲しかったんだ指が内臓のなかで動くあの感覚を 今でも覚えていて 鏡の前で絡みあう肉体が現実とは思えないほど憂鬱にみえた 浮遊感は痛みで引き戻され…

680

山へ登りたいというので 峠を目指したが 既に冬季通行止めの案内が出ていた 番人によると山肌に薄く残った白い雪は ゆうべ降ったものだということだった わたしたちは遠くに雪山を眺めながら 冷たい風が吹く橋の上を歩いた 陽が傾いた湖の傍はとても寒い そ…

670

この冬一番の冷え込みになるでしょうと言われた朝にユメちゃんは死んだ 15歳だった ずっと眠ってばかりで そのまま冷たくなってしまった夢の先に天国 向かいの家のおばさんは泣きながら亡骸を抱きかかえて森のほうへ歩いてゆき 夕方 雪が降ってきたころ 森林…

660

光のなかに立つ彼を見つめながら解ったことは わたしは誰も愛してはいなかったことで 彼らもまた同じ気持ちでいたであろうということ 悲しいことではない 傍目にはそれが愛であるとも言えたし そう信じることだって出来たいつかの夜 助手席に座りながら彼は …

650

パン屋の広告に仏蘭西から直輸入したクロワッサンだとあるので どうやってぱりぱりの皮が壊れないで届けられるのかと尋ねたら 焼くのは届いてからですと言われたのでなるほどと思った雨の午後食事に対して 大して関心がなかったころ わたしは食べることが面…

640

とても良い香りの石鹸と入浴剤を見つけたので 買おうとしたのだけど 月末にポイントセールがあるので待とうと思う その頃まで売り切れませんように 春にはうかうかして 桜の香りのを買い損ねてしまったんだった一体どうして そんなに石鹸だの 香水だの 欲し…

630

飛行機の座席の背面にある液晶画面 または客室の前方にある大型スクリーンに時折映し出される現在地情報というのか 地図の上をとぶ飛行機の印を追うのが好きだ とはいえ ユーラシア大陸上空を飛ぶことばかりだったので 太平洋の方へ飛んだのは10年以上前で …

620

酔うても 酔うても まだ呑み足りぬ 蠍座の男の子と恋をしたのは どの夏だったのだろう テキーラのように刺激的で 太陽のように燃える情熱で溢れていた 不死身の少年は海も砂漠も越えて あちらこちらに口付けを残して次の街へゆく 陽に灼けた肌が白さを取り戻…

610

戻ることを願う日々がないことは幸福であるのか 何処まで行っても平坦な道が続くこの街から見えるいちばん高い山に登ったことはない 学校を出たら 公務員になった幼馴染と結婚して 自転車で通える距離にあるスーパーへパートタイムで働きながら 自分が通った…

600

朝の蒼さを愛していた 肌は白磁のように滑らかに 血は紅く燃え 硝子は透明であった 喧騒の名残を乗せたドイツ車が首都高速道路を走り わたしは助手席で海を探した 波の音や 潮の香りを感じたかったので あなたがいなくても わたしがいなくても 夜は明けるか…

580

殴られるときは奥歯を噛み締めておかなければいけない 口の中で切れてしまうから しっかりと歯を食いしばっておかなければ しかし同時に 声をあげて快楽に悦ぶことも必要なのだ 堪えるばかりでは飽きられてしまう 肌が裂けて血が流れることを恐れてはいけな…

570

構って欲しがりの君は たぶん 何もなかったみたいに歓迎してくれるだろう 或いは待ちくたびれているのかも 既に興味はないけれど 傷つけたくはないので 何もなかったみたいに 知らないふりをするというのは 善人ぶってるだけで 君のことなんてもう なんとも…

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l'été dernier.あなたを愛することが出来てよかった10日間の恋はしあわせだった夜の高瀬川が街灯で煌めくのは あまりにも美しくて泣きたかった 叶わないことも 叶わなかったことも 本当は知っていて それはある意味では絶望だというのに とても愛しくて あな…

550

透きとおったままで 深みまでゆけるから 何も恐れずに溺れることが出来る 明るさ ちいさな魚が足元を泳ぎ去る ほとんど奇跡みたいな島で かつて夏を共に過ごした恋人たちはみな泳ぎ方を知らなかった そもそも浴槽以外の水中に浸かったことすらないと言うので…

540

不思議な鳥の声で目が覚めた 続いてエンマコオロギの鳴き声 新聞配達人が乗るバイクの音 油蟬 烏の声が羽音と共にだんだんと近づいて また遠ざかる カーテンを開けると 向かいにある教会の白壁が朝日で橙色になっていた顔を洗い 服を着替えて まだ涼しい村の…

520

スケジュール帳を持たなくなったのは iPhoneがあるからではなく 記すことが無くなったからだった 今でも憶えていられること以上の予定は立てない 大体 間際に決めるから 特に必要がないのだ 夢にも思わなかったことが 次々と現実になり 不可能は可能になった…

510

雨が降る すこしまえ 空気が湿り気を帯びた庭 蜘蛛の巣についた 水滴は 硝子玉の首飾りのようになり 風が吹くたび ゆらゆらときらめく 光もないのに ああ この蒼さ 陽はまだ沈まない 曇り空はちゃんと 灰色をしている けれども 時間のもんだいなのだ 家に帰…

500

こどものころ 永遠のように感じていた時間は 歳を追うことに加速している 500日 約1年半弱 嘘ばかりでも日記を書き続けたということは初めてだったかもしれない 以前の日記帳は全て廃棄してしまったので 調べようがないのだった時が経つ速さに驚く一方で ま…

490

後悔は先に立たぬが 思い立ったが吉日という むかしはよく 「先に考えてからやらなきゃ」と言われたが 今やるか 一生やらないか もう悩んでいる暇すら惜しい 隔てる距離を今すぐ 無いことに出来たらいいのに

480

若き日の もっとも美しいとされる時期 それは夏だった 夜明け前の空を覆う 青いかがやきの連続 露に濡れた草むらのように きよらかで まだなにも知らなかった 彼女は 新しい母親から 新しい母の味を受け継ぐ いや本当の母のことは ほとんど憶えていないから …

470

生花店の薔薇は 棘を抜かれて なす術もなく愛でられる 生まれながらにして 棘など無かったかのように 硝子瓶のなかで佇んでいるだけ南向きの部屋は明るく 大きな窓から見えるのは 旧い街並と その向こうに海 坂道を真っ直ぐ降れば夏がある 水兵の描かれた小…