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柵のついた窓の硝子を 琺瑯の浴槽を 曇った鏡の洗面台を磨き 最後に仏蘭西語が書かれた包装紙を破って あたらしい石鹸を置いた 夏の夜に嗅ぐ甘い花のような香りが浴室にひろがり 私は柘榴の香りというのを知る あれは種が多くてどうにも食べ辛いが いろかたちが素敵だ 爆ぜた実の隙間に覗く赤い粒は 子供の歯のようにきちきちと並んでいて 可愛らしい 唐黍のように がぶりと噛り付き 口の中でうまいこと種だけをわけるのだが これがほとんど種ばかりだから 味わえるのは甘酸っぱい柘榴の汁で 香りなどほとんど覚えていなかった
むかし借家の庭にあった老木は 地面からも 二階の窓からも 手の届かぬ絶妙な高さの枝に身をつけた 利巧な木だったのかもしれないが 家を潰した時に倒したらしい
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