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「その靴 すてきね ベルリンで買ったの?」

日なたのベンチに並んで座った彼は視線を自分の足元へ向け「ああ」と短く応えた 
「ぴかぴか光ってないところが好きだわ」
「磨いてないからだよ 初めは光ってたんだ」
「そうじゃなくて こういう感じの革がいいの 日本の靴は大抵つやつやしてるじゃない」
 
柔らかそうな黒い革靴は これまでに彼が履いていた靴を見たなかで一番よく似合っていたし 何より本当に滑らかなかたちをしていて 品があった わたしはエナメルも好きだけど 嘘みたいな光沢がないその靴はとても感じがよかったのだ けれどもどれだけ磨いてもこの国で働くサラリーマンが履く 甲虫のような艶はでないだろう それは確かなことだった
 
「アイゼンを付ければ冬山にも登れるよ」
「いいわね 何処へでもゆけるって素敵」
 
でも ほんとうにそうかしら?
 
顔をあげると空が蒼く冴え渡っているのに気付いた 冬の公園には鳥も子供もいない あと少ししたらわたしはオフィスへ戻り 彼はまた汽車に乗り違う街を目指す 何処までも いつまでも わたしは此処にいる きっと
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