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日が沈むにつれ 部屋のなかの空気がしんと冷え込んでいくのがわかる 西陽が途絶えた庭を見ると槙の木の垣根が切り絵のような影を落としていた 子どもたちの叫び声と笑い声 砂利道を駆けてゆくときの石と靴が擦れ合う足音が聞こえる わたしは諦めて眼を閉じると初めて座敷に広がる線香の匂いに気がついた 

念仏は果てしなく続く 女たちも僧侶のあとを追いながら読んでいる 今はまだ畳の上に残されたちいさな輪で出来た数珠の輪郭がくっきりと見えているが じきに暗闇のなかへ朧げに消えてゆくだろう橙色の珠が連なった数珠には紫の房飾りがついている それはわたしが子どもの頃に使っていたものだ 何処へやったのだろうと思っていたら ちゃんと片付けられていたらしい あの頃はお念仏を唱えるだけで褒められていた 意味はひとつもわからなかったから 日曜学校へ行きたいと思っていたけれど その扉はついに開かれることはなかった
だんだんと冷えてゆく部屋のなかで わたしは灼熱の砂漠を 断食月がはじまる少し前に訪れた街々を思い出す 昼時になるとどこからともなく聞こえはじめる男たちだけの声 歌に似た抑揚がある 偉大なる山の雪解け水が流れる河を詠むような声 聖典を読む祈りの言葉 異国の地でわたしはひとりだった 市場の雑踏と土埃にまみれながら孤独だった 誰とも なにも共有しえなかった 痛みも 歓びさえも
念仏は続いている 経本に書かれた文字がだんだんと読みづらくなってゆく ついに女が立ち上がり電球をつけると ぽっと息を吹き返すかのように座敷が明るくなり 女たちの丸まった背中の後ろ姿が並んでいた わたしはそっと橙色の数珠を引き寄せて膝の上に置いた この数珠をわたしの子に譲る日がいつか来るのだろうか いいや その時には新しい数珠を買ってやろう その方がきっといい