2013

どこまでも続く大海原、本当に自分は今船の上にいるのだと実感する。甲板から何もない群青の流動体が時折白い波を立てるのを眺めながら、映画『タイタニック』や『戦艦大和』を思い出した。どちらも沈没する。縁起が悪いので沈没しない映画はと考え『船上ピアニスト』はどうだったかと思ったが観たことがない。沈んでいたかもしれぬ。映画としては、沈まないといけないのか。

2012

どうして北の街では、コンクリートの建物に絵を描くのだろうと思ってから、雪に埋もれてわからなくなるからという仮説をたてた。そんなことないと思うけど、白い車が走っていないのは、それこそ雪に埋もれてわからなくなるかららしい。塩化カルシウムでボロボロに錆びた真っ赤な外国車は、それほど悪くない乗り心地だった。

2011

船旅に出ることにした。産まれた街へ行く為に、先週思い立って2等客室を予約したのだった。何があるのだろう。何も残ってはいないことを知りながら、わたしは北の大地を目指す。寒いニルゲンドヴォの遥か北の地だ。原住民はみな、海豹の毛皮を纏っているらしいが、そんなものはホフヌンクで手に入らないので、箪笥の奥からなにか動物の毛皮で出来た外套を引っ張り出してきた。ばさばさと振るといくらか毛が抜け落ちたが、へそくりも落ちてきた。今では使われていないお金だったので、その内銀行へ持っていこうと思うが、いまでは大した金額にはならないだろう。

2010

長引く戦争が終わらないうちに、また新しい戦争が始まった。そもそもそれは一度も終わったことはなかったのだけど。遠藤周作氏の本を棚から取り出し、薄い綺麗な紙を巻き付けて読み始めた。読み直そうだ思ったが、一度でも読了したのだったか怪しい。まるで中身を覚えていないのは、ほとんど初見と同じだ。

 

冒頭のイエスの風貌についての考察は、読んでいてとても楽しい。2000年前でも人間というのは人間の姿形をしているし、欲なんてのは当然変わらない。長い黒髪を真ん中で分けて、後ろで一括りにして、髭をたくわえている男は現代の日本にだっている。町中にはびこる貧困、厳しい戒律、わたしたちは今でも救いを求めている。祈ったり、祈らなかったりしながら。そして、2000年経っても、まだ救われない人があまりにたくさんいることに胸が苦しくなるのだった。

2009

子どもの時に作った歌を時々口ずさむ。

 

左ハンドルの救急車はアメリカ生まれの超合金

灰色に濁った空によく似合う白いウサギの赤い眼は

君とよく似た曼珠沙華

 

いまでも意味がわからない。自分でさえも。

ただ、私は今でもアメリカに行ったことがないから、救急車が何で出来ているか知らないし、多分超合金ではない。左ハンドルではあると思うけれど。

2007

遠くの街でこの冬初めての雪がふったという。その街で私が産まれたのは、もう随分と昔のことだ。港とガラス工房のある街。美しい夜明けを迎える街のことを、私はほとんど知らない。

2005

ともだちの誕生日だった。もう10年近く会っていない。名前も顔も忘れていないし、お互いの誕生日にはカードとちょっとした贈り物を送りあっている。けれども、なにをしているかも、どのように生計を立てているのかも知らないのだ。そして、それはなんとなく聞けないまま。