2025

嵐がくるまえの日にわたしたちは海辺の街で出逢った 引き寄せたのは死んだ男の子だった わたしは彼の骨が欲しかったけれど すべてこの世界の果てに散らされたあとだった 灰は灰に 塵は塵に では魂はどこへゆくのだろう わたしたちは昼間から麦酒を飲んだ いや飲んだのは彼だけだったかもしれない なにせもう12年以上前のことだからよく憶えていない あの地下にある店は今も同じ場所にある そして彼もわたしの側にいる

あまりにも長い時間が過ぎてしまった 若過ぎたわたしたちは2人とも何かしらに苦しんでいて それは若さゆえの苦悩だったとも今ならば思う それ以外のこと たとえば生まれや信仰 育ってきた環境なんかは 少しずつ解決しつつある 

 

すでに何度か肌は重ねていた 何人もの男がわたしを抱いたけれど 彼ほどやさしく 激しく 悲しくなるほど求めるひとはいなかった 既に歳を重ねたわたしはベッドのなかで囁かれる甘い言葉を正面から向き合わないことにも慣れていた けれどももう一度信じてみたいと思った ふたりで新しい家庭を築くことに期待してみたいと感じた それは希望だ 水瓶座の新月を迎えた夜に わたしたちは激流のなかで同じ舟を漕ぎだそうとしている 先は暗い このヴォトカの河はどこまで続いているのだろうか わたしはこの水源を知っている ニルゲンドヴォの美しい凍った景色を知っている でもその先に何があるのかは知らない 新たな支流を創り出すのだろうか 揺蕩えども沈まず わたしたちはふたりで生きていきたい 病めるときも健やかなるときも この流れに身を任せて 広がる川下の世界を目指したい

 

12年間 待ち続けていた あまりに長い時間が過ぎてしまった 死んだ男の子が好きだった薄荷煙草の白い煙 口の中にのこる清涼感 冷たい麦酒の苦味 静寂を切り裂く電車の音 乾いた肌 甘ったるいような匂い 白いレースのカーテンから差し込む光

 

2024

ニルゲンドヴォの冬はとても厳しい。冬中降り続ける雪は、子どもの背を超え、やがて一階の窓を覆いつくし、人々は二階の窓から雪で固められた道へと出る。馬車は走らない。昼間、太陽が上がりきった頃に重い灰色の雲の隙間に青空がみえたとき、人々は最低限の外出を徒歩で試みる。海豹の毛皮に身を包み、靴には滑らないよう藁で編んだアイゼンを取り付ける。吐く息は当然白く、瞬きをするまつ毛にも白い氷がつく。それほどまでに寒いので、雪は春になるまで溶けることはない。

冬の間、特にすることもないわけではなく、当然家の中で人々は働いた。木を彫って置物を作ったり、夏に育てた亜麻で布を織ったり、春になれば街へ出て売りに行くための品々を丁寧に作った。たまに詩を書いて歌うこともある。どの家庭にもテレビがあるわけではないが、ラジオはあるし、やたら分厚い本を読むのが格好いいと考えているので娯楽に事欠くことはなかった。毎日、秋に漬け込んだキャベツの塩漬けと芋、干し肉を繰り返し食べ、日曜にだけ果物の砂糖漬けを大切に食べた。そのようにして、ずっと、ずっと、生きてきた。

わたしは20歳の頃、そのような故郷を出て、西の街ホフヌンクより更に南西にあるゼルンスフトへ来た。ここでは冬が来ても雪は降らない。その代わり、木を彫ったり、機織りの音が聞こえたりすることもなく、コンピュータに繋がれたキーボードの音がする部屋で一年中働いている。仕事の後で百貨店へ行くと、ニルゲンドヴォ産のキノコで作られた塩漬けや、草木染めで染められた毛糸で織られた絨毯が売られていたのを見つけたので、とても懐かしい気持ちになった。作り手の名前がタグにサインされていたので見ると、近所に住んでいたいつも顰めっ面をしていた小さな背の低い女の子の名前が書いてあった。彼女ももう働ける齢になっていたのだった。うちには祖母が織った絨毯があるので、買わずに帰った。夜は芋を食べた。

2022

忘れていくのは その人が自分自身と向き合う為の聖なる時間だとか 死の恐怖を忘れるためだとかいうのを聞いて なんとなく腑に落ちたのだけど それでもやはり忘れて欲しくないと思うし ニルゲンドヴォという不毛の土地で 厳しくも生きてきた日々のことを 誇り高く憶えていてほしい

2021

「あの人が自殺したらしい」と 女が言った あれはデマだったのでしょうと答えると 「そうだったの もう知ってたのね 全部自作自演の狂言だったの」と続けた 「自殺するような人ではないですから」と返してから 彼がわたしにしたことを思い出そうとしたけれど ほとんど忘れていたことに気づいた 忘れようとしていたからだった

2019

少しずつ昔のことを忘れていく 楽しかった夏の思い出だけ食べて生きて行けたらいいのにと思い続けて もう何年も経ち どんどん思い出が増えてゆく 蒔いた種は芽吹き 刈り取って 硝子の瓶に仕舞い込む マンションに地下壕はないから 冷暗所が見つからないので わたしは土を掘らなければならないだろう 遠い北の街の凍り始めた畑の土を鶴嘴で砕きながら いつかわたしの祖父もそうしていたように

2018

生来の捻くれ者なので 募金活動が嫌いだ 箱に金を入れて赤い羽根を渡されるのも気分が良くない そんな羽根を用意する金があるなら その分募金に回せばいい 新地で女と遊んだ証として棒付きキャンディをもらうみたいに もう募金は済ませたという印だというならば仕方あるまいが 赤い羽根工場と癒着でもしてるんじゃないのか 大体会計が明朗でないのが気に食わない 箱のなかに入れた金がどう使われるのかわからないのに よくそんなこと出来たもんだとさえ思う そうだ 俺は嫌な奴なんだ でも酉の市で熊手を買うとき さんざ負けてもらったあとに 御祝儀って言い値のとおり支払うのは好きなんだ それから救世軍が喇叭を吹いているとき 傍に鍋を吊るしているのも良い 投げ銭がどう使われようたってそれは構わないことだ

2017

みんな世界を救うヒーローに成りたがるのに おふくろの皿洗いを手伝いたがる奴はいない というようなことをなにかのSNSで見かけて 定年後にボランティアへは行くのに家のことをしないひとの話を思い出した

これからは人の為に生きていく と言いながら 生活まるごと行政に頼っているのは そこはかとない矛盾を感じるし そもそも人の為って 誰のことなんだろう 目の前にいる俺のことはどうでも良いのかとも思う 実際どうでも良いのだろう