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かみをさがすということ もうほとんど泥沼

 

かつてそこいらは墓地であった 丘があったかどうかは知らないが 地下に泉はあった わたしは蟻の巣のように張り巡らされた地下通路を縦横無尽に歩き回り 建屋と建屋を結ぶ長い架道橋を渡り かみをさがす 不毛なことではあるが 不幸なことではない たとえ見つからなかったとしても また歩き出せば良いだけのことだから

高架下のどの壁の隙間にも 違うひとの横顔が思い出される それはただのしみ

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たとえば溜まったストレスをカラオケで発散するとか 年に一度友達と夢の国を訪れるとか 大好きなアイドルグループがいて ツアーで追いかけたり 新しいアルバムが出たら予約しに行ったりとか そういうことを 心から楽しめるというのが羨ましいし 可愛いものや 美味しそうなスイーツと 綺麗な海の景色だけが並ぶインスタは素敵だと思う 自己嫌悪で眠れない夜も 踊り続けてくたくたの朝も 同じ空のしたならば わたしはなんとしても眠らなくてはいけない なんとしても

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同窓会に誘われないので たぶんもう死んだことになっている それがいいと思う 夏の休暇を無為に過ごしてしまったことを悔いることも出来ないほど 身体が重たいのは眠気のせい

泳げば疲れて楽にもなるだろうか あなたの退屈を少しはしのげていただろうか

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階段を降りて玄関に出ると 扉が開いていたのでそのまま家を出た 蟋蟀の鳴声にひかれるまま 裸足で芝生を歩き そのまま中庭を通り抜けて通りへ出る まだ月が白く光っているのは夜が明けていないからだ                                             新聞配達人が運転するバイクの音が遠くへ去ってゆく つまり誰も歩いてはいないということ 坂道を少しくだって海のほうへゆく 朝陽を見ようと思ったから 白色の薄い寝間着のままで なにも履かずに 玄関の扉だって開けたままで出てきてしまったので 家人に少しだけ申し訳なく思いながら 足早に歩くと 海は静寂のうちに霞がかかり 朝陽は空を焼くように橙色に雲を染めているのが見えた 家へは同じ道を通らずに戻った まだ誰も起きてはいなかった

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8月は命日が多すぎる 風のない午後 アスファルトの道路に蜃気楼 喜ぶとか悲しむとか 愛するとか憎むとか 言葉で説明できない感情を持て余して蔑ろにするのか あの子がいなくなってから何度目の夏なんだろう 揺らぐこともない樹々が空に向かって立ち尽くす ほかに為すすべもない

 

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酷い眩暈を感じて舞台のある講堂を抜け出し 外へ向かった 近道をしようと礼拝堂を通ろうとすると 神父さまたちが会話をしていたので諦めて長い廊下を歩き ようやく広場へ出ると雨が降っている 吐き気と悪寒 上演時間が迫っているというのに 逃げ出しても仕方ないのにどうすればいいのか 視界はしろっぽく霞む

栗色の巻き毛の女が傘をさしかけてくれた 丈夫そうな金属製のフレームのメガネをかけているが神経質という雰囲気ではない 彼女は明瞭なドイツ語で安否を気遣ってくれるので 貴方が誰であるのかと尋ねると わたしの恋人だと答えた わたしに同性の恋人がいた覚えはないのだが もしかするとそうなのかもしれない 彼女はわたしを連れてアパルトマンへ行った 5~6階くらいだろうか 丘のうえにあるため景色がとても良い 雨に濡れたオレンジ屋根と石畳の灰色が湖のほうまで広がっている 彼女はわたしの濡れた服を脱がせ ふたりで浴室に入った 熱いシャワーはとても気持ちが良い 彼女はわたしの身体を洗い わたしは彼女の身体を洗った 櫛切りにした檸檬で白い背中を擦ってから 半分に切った白桃でやさしく撫でると しなやかな身体は震え わたしは確かにここで彼女と暮らしていたのだということを思い出し始めた