1076

部屋に置くためのちいさな机を注文した 倉庫にあるとかで まだいつ届くのかはわからない なぜか知らないけどずっとそれがノルウェイ製だと思い込んでいて これでわたしもワインを飲みながら話し込んだあと 男の子を風呂場へ追いやってバスタブで眠るように言う遊びが出来ると密かに楽しみにしていたのに 説明をよく読んだらフィンランド製だった 物はスウェーデンから届く予定 isn’t it good Norwegian wood... 

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旧い友人を訪ねたのは 期せずしてこの冬一番の寒波が街を襲った日であった 玄関で上着の雪をはらい 黒い革の手提げ鞄から 手土産にちいさなチョコレートの小箱を取り出して渡すと 彼女はウイスキー を垂らした熱い珈琲を用意してくれたので ふたりで頂くことにした 窓の外は女の髪と同じ白色に吹雪き 縁が歪んだ銀縁眼鏡は珈琲の湯気で曇っている すぅ とウイスキー の甘い香り それから口の中に広がる爽やかな酸味と苦味 喉元を流れる熱い珈琲 彼女は小箱に並んだチョコレートを眺めて うっとりしながら一粒選ぶと 細い指先でそうっと摘み口許へ運んだ まるで少女のままだった

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融雪カンテラの灯が音もなく燃えている 雪は静かに降りしきり 街を白い真綿で包む 不要不急の外出はお控えください 行きはよいよい 帰りは怖い 道路と歩道 空と街 民家と森 夜と夕方 あらゆる境目が消えてゆく みんな混ざって凍ててゆく 激しく濁って白くなる カンテラの灯だけが燃えて やがて それも 消えてゆく 眠るように 静かに

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チョコレートバナナ味の棒付きキャンディを買った 多分12年ぶりだ ハイスクールに通っていたときは毎日のように買っていたのだけど 同じ店で買い続けていたら売り切れて それきり仕入れられるのを見なかった あの頃と変わらない味だろうか

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微睡みの中で「君はみんなのものだから」と男は囁き わたしの髪を撫でてから寝台から離れて浴室へ行った 一体どういうことなのだろう それですっかり眼が覚めてしまい 戻って来てから その意味を問うたけれど曖昧に微笑むだけで何も答えず 床に散らばった衣類を集めると わたしに下着を着せ始めた ガーターベルト ショーツ ブラジャー スリップ 脱がせるときと逆の順番をきちんと守り ストッキングをつけるのは苦手だから自分で履いてほしいと言った

 

この身体 爪先から髪を含めた頭 社会的身分 ぜんぶが預かりもので わたしの主人は姿も知らぬただひとりしかいないというのに

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蒸発したはずの青年は金曜日の夜に見たのが最後だった 手を振って別れたあとの後姿はいたってふつうで 書置きと一緒に置かれた携帯電話は充電切れで電源が切れていたらしい

 

 

その後 彼は元いた場所へと戻った 死んだのではなく二度とわたしたちの前へ姿を現さなかっただけのことだけど それはそれで悲しかった

 

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森へ行った 草がぼうぼうと茂る間に土と落ち葉で澱んだ泉があったのだけど 綺麗に刈り取られ 小洒落た白い鉄製のテーブルセットまで置かれて どこから運び込んだのか泉のほとりには小舟まで置いてある 森の主が手入れをして庭にしてしまったのだ

清く いつまでも無垢であることを保つためには 手付かずのままではいけない 泥だらけで汚らしく誰にも触れたいと思われないこととは違うのだと主は言った

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北国から小包 明るい水色の大きな箱で届いた なかには色とりどりのお菓子や きれいなカードなんかが宝箱のように詰められていて わたしの心は彼女と出会ったときの年齢に戻ったかのように弾んだ 舌が青くなるキャンディなんてもう長いこと舐めたこともないのに いつまでも彼女のなかでわたしは子供のままなのか それはそれでいいことなのだろう