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注文していたパン切り包丁が近々届くとの知らせ これでどんなパンでもすんなり切れるはず

干し葡萄と胡桃が入った固い茶色のパンが好き オランダの木靴みたいなライ麦パンも好き 薄く切ったのにバターを塗っても塗らなくてもいいけど スライスしたチーズと胡瓜をのせて食べるのが好きだった ハムは滅多に食べられなかった クリスマスの頃にだけお母さんが作ってくれたのを食べた

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子供だから 夫だから 妻だから 兄弟姉妹だから という理由で 無理矢理愛するのは辞めてほしい 血縁関係さえなければなんとも思わないことを 無条件の愛情という言葉でお互いに誤魔化すのはもう終わりにしたらいい わたしはなぜここにいるのだろう? どうして生きているのだろう? 死ななかったから あの雨の日 橋からも ベランダからも 落ちることが出来なかった 夜の河は激しく流れ 街灯を反射させた水面はきらきらと輝き 中庭のコンクリートは銀色に濡れていたことを忘れはしない 17歳 わたしは少しも美しくなかった お前の眼はナイフのようだと詰られ 悪魔と罵られたし 惨めなほど醜かった 白鳥にはなれなかったし トンビの子はトンビだったのだ

考えることを諦めなければならない 無条件に受け容れなければならないのだ 結婚し子供を産み 社会を呪い 値上げに不満をこぼしながら 夫と子を愛すべきなのだ それは酷く疲れる

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鬼 鬼 鬼 ちいさいころに読んだ 家出した子供がバスに乗り継ぎ山へゆくうち 鬼になってしまうという話 とても恐ろしかった それほどの憎しみを抱いていたようには思えなかったけれど 少年は親兄弟も捨てて鬼の子になってしまった ほんの些細なことで でもだれがその心の内を知ることが出来たというのだろう

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どうしたら良いのかわからない内に月は欠けはじめた 来月またブルームーンであるというのは 今月 フルムーンにはならないということ

 

今朝 メールが届いていた 世の中で起きた重大な事柄 (それは災害や自然によるものではない)の影響を受け その余波がちいさなさざ波のように押し寄せてわたしの砂浜を濡らし 確かに湿らせていったのは初めてのことだった あの人の期待に応えなければならない わたしを選んだのが間違いではなかったということは 彼の選択が正しいということであり あの人の完璧な計画を一層美しく仕上げることに繋がるからだ

 

新月の砂浜にも 光を

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指先に赤い線 いつの間に切ったのだろう 痛みに気付かなかったくせに 血の色を見たときからしくしくと痛む 大した傷でもないのに

 

大した傷でもないのに

傷痕は今も残っている 肘から肩の方にかけて腕にひかれた無数の線 どうしてそんなことをしたのかもう覚えてはいない なんてことはない わたしは一生忘れずに呪いつづける そんなことが何になると嗤われようと 愛と変わらないくらい

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月や星は好きなのに皆既月食を見た覚えがないのはたぶん時間を忘れてしまうからだ そしてうまく覚えているときに限って曇っている 今夜はまた雪が降るらしい 空は町の光をうつし桃色に明るく曇ったまま

日食の日 木々に茂る葉の影がほんの少し欠けていたような気がするけれど それがこの目で見たものだったのか 映像として見たものだったのか もはや確かではない

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もうじき結婚する姉とショコラを買いに行った 毎年ふたりでゆくのが恒例行事で ぜったいにふたりでいるときはお互いの恋人に渡すものを選ばないで 自分たちが食べたいものを探すのだ 美しい紙箱と華奢なリボン 舶来ものの限定品 地域の素材に世界の食材 繊細な味わい ナッツがパナマ運河を転がってゆく フェアトレード 日本初登場 トーキョーでは完売したんですよ この紙袋たくさんインスタにも載ってて「ねぇマダガスカルってどこにあるか知ってる?」「ワオキツネザルがいるとこでしょ」「だからどこよ」「知らない」ああ もうなんだっていい

 

結局 焼きたてのカヌレを買った 蜜蝋が艶めき ラムが香るしっとりした生地は最高に美味しかったけれど写真は撮り忘れた

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河べりを歩いていたら 聞いたことがない鳥の声がしたので水面を覗くと 真っ黒な鳥が何羽か泳いでいた 家に帰って調べると北方から飛来した渡り鳥だった かつては西で冬を越していたようだが あちらのほうでは水が悪くてもう生きてゆかれないらしい 暖かくなればまた北へ戻るのか それともこのまま留まるのか

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少しくらい雪が積もれば良かったのに と 残念そうにいう彼女のことが羨ましかった 身動きがとれないほどの雪にうんざりしたことがないのだろう かじかんだ指先が痛み 次第に感覚が無くなってゆくことも 凍りついた道路で転倒したとき打ちつける肘や膝が普段よりもかなり痛いことも ホワイトアウトした世界の果ては美しい地獄だということも知らないのだろう それはいいことだ

 

 

 

何処からか逃げて来た首輪をつけたままの犬が交差点で戯れてきたので 雪で埋まった歩道をのそのそ走ったら喜んでついてきたのに すぐに飽きて除雪された車道へ出てまた他所へ走っていってしまった 飼い主に見つけてもらえただろうか?