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わたしはわたしが心配しなくてもいいひとたちのことを心配することを辞めたほうがいい 見返りがあるとかないとか以前に わたしがやらなくても他の人がいるので というか わたしでなくてはならない理由がないなら 放って置いても枝葉は茂り 魚たちは産卵し 残高がある限り水光熱費は自動的に引き落とされる 寒くなれば押入れから毛布を引っ張り出すだろう あたりをぐちゃぐちゃにするのも御構い無しで
手のかからないものが好きだ 愛を求めない唇でいかに美しく正しい発音で 恋の詩を歌うかが重要だ 勝手にしろ あのひとの怒鳴り声が聞こえる 本当は誰もいないのに

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予定していたことの半分しか出来ないのは昔からなので 半分出来たら良しとしておく

何度読んでも泣いてしまう うちの近所でもたまに轢かれたのを見かける 可愛いから可哀想というのは馬鹿げているけれど そうでしかない 玉砕のシーンは特に胸が痛くなる

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雪虫が飛んでいた

急に寒くなったので 身体を温めるものを コニャックでもひっかけようとバーに行き ふいにJのことを思い出した 彼とは東欧の地方都市であるOから鉄道で工業都市Kを経由し 首都Wを目指したときに車内で偶然知り合った男だった 年齢も職業も教えてもらったけれど正しいかどうかなど知らないし どうでもよかった 終点にて宿をとり わたしたちは「星の港」と呼ばれる酒場で共に盃を交わし 楽しく過ごしたというそれだけのことだ
映画『灰とダイヤモンド』を観たのはそのあとだった なんとなくJと主人公の男が似ている気がして あの夜飲んだのはヴォトカだったのに コニャックを飲むシーンが頭に残ってしまい いや 本当のところコニャックを飲んでいたのか定かではないのだけど しばしば懐かしく思い出すのだった 寒くなってきた頃には

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どこで暮らそうとも近くには水辺があった もしくは 水辺の近くで生活が営まれていた バプチャやマトカの故郷は貧しい農村で つまり彼女たちのやり方を見て育ったわたしもまた その貧しさがあたりまえのことであったから 緑かがやく森さえ信じて なにも知らないままでいれば良かったのだけど

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電車を乗り継いでは降りるたびに 空気が冷えて澄んでゆく 夕焼けの橋を渡り これで今日は終点まで景色を眺めるだけとなった 高架に敷かれた単線の路を焦ることもなくゆっくり走りながら通り過ぎる人気のない停車場 その待合室と呼ぶには簡素すぎるトタン屋根の雨除けと木製の長椅子に絡まった蔦は紅葉をはじめていた 間もなくその景色も闇の中へ消えて見えなくなるだろう 車内にいるのはもう自分と運転手のふたりきりだった

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話すことがなくなってしまった午後 旧知の友人とベンチに座り ぼんやりと空を見上げて「なんだか老後みたいだね」と言った 老後なんてまだまだずっと先のことで くたばるまで働き続けなきゃいけないんだろうけど

いつかわたしや彼のこどもたちにまたこどもが産まれて そのこどもたちが大人になるころ わたしたちはもうこの世界にはいないだろう 或いは冷凍保存されることを希望しているかもしれないし 肉体の一部はまだ誰かの身体の中で働き続けているかもしれない  そう話してから 描いた絵がすっげぇ評価されてるかも でも出来れば今売れてぇよなぁと彼は言った その通り

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マシュマロ入りのココアを買った お湯を注いで混ぜているうちに溶けてしまうくらいちいさなフリーズドライのマシュマロが入っていて マシュマロを先にスプーンで分けておけば後から入れて少しは楽しむことが出来る もっとも何を食べているかはわからないくらいの大きさではある 同じようにしてぶぶ漬けのアラレも先に寄せてからお湯をかけて あとからかけるとふにゃふにゃにふやけたのではないアラレを食べることが出来るけど 最近ではもうやらなくなってしまった ビスコを口の中で剥がして食べる癖はいまだに治らない

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空になった瓶に新しい花を生ける なるべく日持ちがする緑が鮮やかな枝葉
クリスマスカードを用意すること 併せて近況を知らせる写真も1〜2枚 なるべく楽しそうで 眼が赤く光っていたり指が写り込んでいないもの
義弟の誕生日のために3の形のキャンドルを買いに行くこと 母が太鼓をあげると言っていたので冗談はやめろと説得する 必ず
パズルのピースが部屋のなかにあるのはわかっているので 残り4つを早く集めて完成させること
図書館で借りたレシピ本から最低5つは新しい技法を試すこと ちょっとした味の変化でもいい 学ぶことを楽しみ そして共有する

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湖へ行った とても良い天気で雲ひとつない青空が湖との境界線を曖昧にして とけこんでしまっていた わたしと兄は砂浜を歩いて いくつかの貝殻を拾い 投げて また湖のなかへとかえしたり 乾いた流木を踏んでぱきぱきと折れる音を楽しんだりした 途中 砂浜がちいさな湾になっているところで 波打ち際によせる波のなかにきらきらした金色の粉が揺れて見えたので 砂金かしらというと ここらじゃ採れないから別の金属だろうということだった 水に触れるには少し寒すぎたので それが何であったかはわからずじまい

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秋のことは好きでも嫌いでもないけれど いつのことかがいつもおぼろげ たぶん紅葉がはじまった今がそうなのだけど このところ少し暑すぎる 過ぎていった季節は恋しくなるもの