1974

今日も手紙は届かない。私が送った手紙もおそらく読まれずに、机の上に置かれたダイレクトメールと一緒に山積みになっているか、屑籠へ捨てられたかだろう。謝りたいことなんてひとつもない。ただ、愛していることだけ伝えたくて、もう10年が経つ。そうして、忘れたころにあの人は返事をくれる。なんの脈絡もない日常の事柄を滔々と書き連ねただけの手紙を。かつてわたしたちは、たったふたりの兄妹だった。姉弟だったかもしれない。どちらが先に産まれたのか、はっきりしていない。それを知るには早すぎたときを流し、今ではもう誰にもわからないのだった。

島から大陸と向かう船の上で、私たちは生まれた。星が一面に輝く美しい夜空の日で、周りは黒い波。そう、明かりもなく煌めく星しか見えなかった。風が凪ぎ、それでも大きな船の上は穏やかだったと、いつだったか船に乗っていたと話す仲間が教えてくれた。私たちは、私たちの救世主から名前を与えられた。世の中で幸せに生きていけるように、愛に満ち溢れた日々を過ごせるように、祈りの中で祝福を受けたのに、待ち受けていたのは草木も育たない荒野に似た過酷な生活だった。船の上で過ごした夜が、産声をあげたその日がもっとも幸福だったのかもしれない。救世主が去ったあと、見知らぬ顔の人々に囲まれて育った。彼らはみな親切ではあったけれど、私たちとは目の色も肌の色も違い、どことなくよそよそしかった。そう感じたのは物心がついた時のことで、その日から私は満ち足りた暮らしのなかでいつも孤独だった。兄、または弟が、どのように暮らしていたのかはよく知らない。父もなく、母もいなくなった私たち。面倒をみてくれたマトカは優しかったけれど、死ぬまで私の兄または弟の所在も、救世主のことも話してはくれなかった。私はずっとマトカのたった一人のこどもだったから。兄も弟も本当はいないのだ。そう思い直しては日に焼けた手紙を読み直す。