1981

死んだら新聞に載るようなロックスターになりたかった。音感はからっきし、声も小さく滑舌が悪くて、あがり症だからてんで駄目だったけど、ロックスターが死んで新聞に載るというのは、高校時代、地元にたった一軒あったレコード屋が閉店したときのような寂しさがある。たとえ聴いたことがなかったとしても。

物心ついたときにはレコードなんて誰も使っていなかったし、時代は新しいものを目指していたから、昨今のレコードブームのときほどプレーヤーは動いていなかったんじゃないかと思う。だけど、親世代はみなレコード屋と呼んでいたから、自然とそうなった。駅前にあった6畳ほどの狭い店に所狭しと並んだCD。8cmのシングルCDというのもあった。今では聴ける媒体も少ないのではないかと思う。愛想の悪い店主がいて、私たち制服を着た子供たちを見ると特に機嫌が悪かったが、万引きが多かったのだろう。その店の息子は私の同級生だった。一度だけ、帰宅して店の中にある暗い階段を登って行ったのを見たことがある。サッカー部なのにモテなくて、いけすかない奴だった。私はそこで数回好きなロックバンドのCDアルバムを予約して購入したことがある。当時、街の大きなレコード屋で予約すると、ポスターやステッカーやら色んな特典がついてきたが、そんなものはひとつもなかった。

地方都市に暮らす今、あの頃の私が部屋にいたら、どんなに喜んだだろう。音楽はYouTubeで試してからダウンロード出来るし、大きなライブハウスだって歩いて行ける場所にあるのだ。ロックスターに憧れていた田舎の高校生。太ったニキビ面でボサボサの髪にやたら細い眉毛で、今時あんな子はどこを探してもいないと思うけど、当時は大勢いた。そして、そういう時代をロックスターも過ごしてきた。大きな音を立てて弾ける爆竹は、ベトナムでは新年に鳴らすけど、日本では夏の名残が消えてゆくのに似て寂しさが残るのだった。