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「殺しましょうか?」

 

T本の申し出にわたしは面食らってしまった 事の発端は事務所の床に一匹のハエトリグモを見つけたことだ 絨毯の上をぴょんぴょん跳ねる黒い小さな生き物に気がつき 「あ 蜘蛛」と言ってから 「わたし苦手なの」と傍にいたT本に話しかけた返事が「殺しましょうか?」という 紳士的で優しい彼の思いやりある物騒な一言だった

わたしの為に生き物を殺す

何処からか入ってきた蚊 音だけが聞こえて 何処にいるのか見つけられず 躍起になって 蚊取り線香をつけたり 闇雲に殺虫剤を吹き付けたりする 冷蔵庫と棚の隙間をかさかさと走り抜けていった 黒光りした虫を二度と目にしないようにするため ホウ酸団子を置く だれにも断らずに殺す お伺いのひとつも立てずに排除する

大嫌いな蜘蛛を「殺しましょうか?」と聞かれて 「はい 殺してください」と 何故か言えなかった なんとなく 彼の手を汚したくないと思った