1964

その界隈では有名な自死した女性編集者の日記のことをふと思い出して、検索すると、Y駅で電話をしたのが最期だったという人の文章が見つかった。別の自死した友人と私が夢で会ったのも同じY駅で、私自身はその駅になんの思い入れもないのに、不思議な感覚がした。おそらく、下車したこともないと思うので、あくまでもイマージュとしての駅でしかない。死んだはずの彼女は夢の中で、前と変わらずふくよかな顔で笑っていたし、死んでいることを思い出して泣き出した私の手をとり、泣かないでと言ったのだった。骨ばったわたしの手と違い、温かくて柔らかい手だった。

どこでボタンの掛け違いが、あるいは川の分岐があったのか。女性編集者も、あと10年遅く産まれていたなら、自死を選ばずに済んだかもしれない。或いはその才能を発揮できなかったかもしれないけれど。