1990
ベルリンの壁が崩壊したときの記憶はない。湾岸戦争のことは、うっすら憶えているけど、どういう事情でそうなったのかまでは知らない。子供の時はしょっちゅう戦争の夢を見た。焼け野原にいるのだ。怖いとか、悲しいとかいう気持ちではなく、ただ不安だった。まだ火が燻る街はもうほとんど瓦礫で、わたしは元の姿が思い出せないのだった。
21世紀になって、まだ車は空を飛んでいないし、旧型の戦車が砲撃を繰り返しながら、どんどん人を殺していく。訪れたことのない街が、どんどん様相を変えてゆく。会うはずだった人たちが、次々に燃えてゆく。悲しみは知る必要のなかった憎しみへと変わってゆくのだ。祈りなどなんの役にも立たない。ただ、祈ることしか出来ない。誰かの正義が、誰かの悪である限り、せんのないことだとしても。
1984
某市へ行く予定があるので、喫茶店について調べていた。なんど見ても駅の近くにあるのに、目的地と違う地図が表示されるのでおかしいと思ったら、旧国鉄と私鉄の違いだった。あまりにも離れているのでそこは諦めようと思うが、異国の名前を冠した素敵な喫茶店だった。気力があれば行くかもしれないが、片道3キロ歩くのだ。それはなかなか億劫なことではある。
同僚がコーヒーが好きだというので、ふたりで一服しながら時間潰しをしていたら、昔、喫茶店でアルバイトをしていたと言う。流行りの外資系カフェでなく、純然たる喫茶店だ。その話を聞きながら、わたしも学生時代にはコーヒーショップで働いてみたかったことを思い出していた。結局、佃煮工場で働いていた。夏でも薄暗い工場のことを、今でもよく覚えている。3時には洗面台に熱湯をはり、缶コーヒーを温めて他のアルバイト従業員に配って回ったものだった。たぶん、今も続いていると思う。